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暴力装置(ぼうりょくそうち)とは、非合法な犯罪と暴力、他国の攻撃に対処するため、法に則った暴力行使が認められた組織・機関。主に軍隊や警察などを指し、広義にはそれを保持する政府、国家のこと[1]。社会学用語[2]。 「暴力装置」という言葉は、政治学や社会学において国家の物理的強制機能を指す用語[3][4][5][6][7][8]である。公権力が存在しない状態では、各個人や各集団が安全や秩序のためにある程度の暴力(武力、自衛力、治安維持能力)を保有して自力救済を行うことになるが、その結果として個人や集団間での見解や基準の相違、勢力争い、復讐などから様々な抗争が発生する。トマス・ホッブズはこれを「万人の万人に対する闘争」と呼び、社会契約論により王権を正当化した。 公権力が個人や集団の武装を解除し、暴力(武力、自衛力、治安維持能力)を独占し一元管理する事によって、秩序が維持される。 他方で権力による暴力の独占は、非武装の個人や集団に対する決定的な支配構造ともなる。このためアナキズムは権力による支配を否定する。 ジョン・ロックは人民の政府に対する抵抗権(革命権)を認め、アメリカ合衆国憲法では人民の武装権が記載された。 自由主義を重視する観点からは、公権力、特に暴力装置の使用は抑制的である必要があるとされる。社会学者のマックス・ヴェーバーは「暴力装置」を欠いた状態で、体制を継続的に維持することは不可能だとし、暴力的装置の独占的所有と行使は、近代国家の特質と定義した。近代国家では、物理的強制力の行使は政府にだけ認められ、他の制度や個人は国家が承認する限りにおいてのみその行使が認められるとした[9][2]。 計画経済・個人資産の否定を国是とする社会主義国では政府の計画通りに一般国民を動かす必要があるため、暴力装置を用いた弾圧が行われる事がある。 「暴力装置」または類似の用語の、著名人による理論、用例には以下がある。 1852年出版の著書『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の中でカール・マルクスは、ナポレオンの革命によって完成された国家を「装置」(ドイツ語: Maschine)と例えた。[10][11]。 1917年に執筆された著書『国家と革命』の中でウラジーミル・レーニンは「暴力装置」(ただし岩波文庫版の翻訳では「暴力組織」)の用語を使用した。「国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」- マルクスのこの理論は、プロレタリアートが歴史上はたす革命的役割についての彼の学説全体と不可分に結びついている。この役割を仕上げるものが、プロレタリア独裁であり、プロレタリアートの政治的支配である。だが、もしプロレタリアートには、ブルジョアジーに鋒先をむけた特殊な暴力装置としての国家が必要であるとすれば、この暴力組織の創出は、ブルジョアジーに自分のためにつくりだした国家機構をまえもって廃絶することなしに、それを破壊することなしに、はたして考えられるか、という結論がひとりでに出てくる。 ? ウラジーミル・レーニン『国家と革命』[12] 1919年の講演を記載した著作『職業としての政治』の中で、マックス・ウェーバーは、主権国家とは「合法的な暴力の独占」であるとして、「国家権力(国家暴力)の主な手段」(ドイツ語: Hauptinstrument der Staatsgewalt)との用語を使用した。近代国家の社会学的な定義は、結局は、国家を含めたすべての政治団体に固有な・特殊の手段、つまり物理的暴力の行使に着目してはじめて可能となる。
概説
理論
カール・マルクス
ウラジーミル・レーニン
マックス・ウェーバー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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