暴力団員
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「暴力団」のその他の用法については「暴力団 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。免責事項もお読みください。
五代目浅草高橋組の組員

暴力団(ぼうりょくだん)とは、「暴力あるいは暴力的脅迫によって自己の私的な目的を達しようとする反社会的集団(悪党の集団)」[1]都道府県公安委員会は、暴力団対策法第3条に定める3つの要件の全てに該当する暴力団を、当該団体関係者からの聴聞を経た上で「その暴力団員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれが大きい暴力団」と指定するものとされており、これを「指定暴力団」と呼ぶ[2]。その構成員などは2023年時点で20,400人、そのうち構成員が10,400人、準構成員が10,000人である[3]。最盛期の1963年には184,100人の構成員と準構成員がいたが、警察捜査暴力団排除条例少子高齢化などの影響で大幅に勢力は減退している[4][3]
呼称

元々「暴力団」は警察が名付けた名称であるが、第二次世界大戦後、マスメディアを通じて一般の間でもその名称で認知されるようになった[5]。警察庁によると、暴力団は従来からの賭博を資金源とする博徒と露天商を資金源とする的屋に、昭和20年代の戦後の日本社会の混乱期に発生した暴力集団である愚連隊が加わり発生した。彼らはヒロポンの密売などの利害関係の対立から離合集散を繰り返したが、昭和30年代には彼らを一括して「暴力団」と呼称することが定着した[4]

関係者は社会的には「構成員」と呼ばれるが、その他にも「ヤクザ」(転じて「ヤーさん」、「ヤー公」、「ヤっちゃん」等)、「極道」、「任侠」、「渡世人」、「本職」等、末端構成員の場合は「チンピラ」、「三下」等と呼ばれる。

暴力団の通俗的な呼び名として「ヤクザ」があり、その語源には多くの説がある。

カルタ賭博追丁株で一番悪い目である「八」「九」「三」の数(いわゆるブタ)から由来するという説

喧嘩などの仲裁を行った「役座」という社会的地位に由来するという説

また暴力団員などが自らを美称する呼び名として「極道」があり、その語源の定説は以下の2つ。

「男の道を極めし者」から

「極道楽」の略で「道楽を極める遊び人」の意

また定説ではないが、元警察官の北芝健は「獄道[注釈 1]」が語源という説を提唱している。

暴力団員などは自身の独自の倫理観として「任侠道」(的屋においては神農道)を掲げ、活動に置いての大義名分に使用される。
歴史と区分

明治時代に入ってから、急速な産業の発展と共に労働力が不足したことによって人手が必要となった。炭鉱水運港湾大規模工事現場には、農村漁村から屈強な男性達が集まってきた。これらの男性達の中から、体力、気力がある男性が兄貴分として中心になり、「組」を作っていった。労働者同士による諍いも多くおこり、警察の手が足りない状況であったため、いわゆる自警団的な役割を持った暴力団組織も結成されるようになっていった。

一方、これら勢力を野放しにする事はできず、1931年(昭和6年)には高橋守雄警視総監1935年(昭和10年)には小栗一雄警視総監の陣頭指揮により東京府内で暴力団、政治結社の構成員らを一斉検挙[7]1935年(昭和10年)の摘発は、東京以外の府県でも警察に加え内務省警保局が協力した大掛かりなものとなり[8]、同年8月末までの全国の検挙者数は19200人を超えた[9]

太平洋戦争終結直後は、日本が連合国に敗北し焦土と化したことで物資が不足し闇市が増えていくことになった。露店を本職としているテキ屋系団体が増えていった原因は、敗戦による日本社会の治安が極めて悪かった事があげられる。その中で、新たに戦後の混乱の中で形成された「愚連隊」(ぐれんたい)などの不良集団から暴力団が誕生することもあった。警察側も急成長する暴力団に対して摘発に乗り出し、警視庁管内だけでも1950年(昭和25年)4月に約5000人、同年7月には約200人と大量検挙(暴力団狩りと表現)を行ったが、多くを釈放せざるを得ず[10]焼け石に水の状態が続いた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:146 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef