暗黒の5月事件(あんこくの5がつじけん、タイ語: ?????????)は、1992年にタイ王国で発生した事件である。
概要(タイ語版)を起こし、スチンダー・クラープラユーンを実質的な指導者とする国家平和維持評議会が権力を掌握した。
評議会は外交官であるアナン・パンヤーラチュンを首相に任命した。翌1992年におこなわれた総選挙の結果、下院はスチンダーを首相に指名した。
スチンダーは首相に就任したが、民主化を望んでいた国民は反発し、バンコクを中心に抗議デモを行った。
軍部はデモ隊を銃の発砲で鎮圧し、300名以上の死者が出た。国王ラーマ9世は武力衝突を憂慮し、スチンダーと民主化運動の指導者チャムロン・シームアンを王宮に呼び事態の沈静化を指示した。[1]
これを受けてスチンダーは首相を辞任し、アナンが首相に復帰し文民政権の樹立につながった。
チャムロン
関連項目
タイにおける政変一覧
大量虐殺
脚注^ ⇒“タイの政治混乱?その歴史的位置?”. アジア経済研究所地域研究センター 重冨 真一. (2010年5月1日). ⇒http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Asia/Radar/20100524.html 2017年3月15日閲覧。
更新日時:2020年2月27日(木)06:25
取得日時:2020/09/19 20:01