智達
[Wikipedia|▼Menu]

智達(ちたつ、生没年不詳)は、飛鳥時代法相宗
経歴

日本書紀』巻第二十六によると、657年斉明天皇3年)に、使(つかひ)を新羅に使(つかは)して曰(のたまは)く、「沙門(ほふし)智達(ちだち)・間人連御厩(はしひとのむらじみうまや)・依網連稚子(よさみのむらじわくご)等(ら)を将(ひきゐ)て、汝(いまし)が国の使に付けて、大唐(もろこし)に送り致(いた)さしめむと欲(ほ)りす」とのたまふ。新羅、聴送(うけたまは)り肯(か)へず。是(これ)に由(よ)りて、沙門(ほふし)智達(ちだち)等(ら)、還(かへ)り帰(まう)けり
(使いを新羅に遣わして、「沙門智達・間人連御厩・依網連稚子らを新羅の国の使いにつけて、大唐(もろこし)に送りたいと思う」といわれた。新羅はそれに従わなかった。それで沙門智達らは帰国した)訳:宇治谷孟

とあるのが、智達の名前の初出である[1]。続けて、658年(斉明天皇4年)に智通とともに新羅の船でに渡り、玄奘からインドの学僧である無性の衆生の義(ことわり)を受けた、とある[2]。同じ事項が『三国仏法伝通縁起』には、智通・智達両般法師乗二新羅船一往二大唐国、二遇二玄奘三蔵一学二法相宗一

と記されており、同様の記述が『仏祖統記』・『宋史』日本伝(巻第四百九十一・外国伝七・日本条)にも見える。法相宗は4回にわたり日本に伝来したと言われているが、智達・智通たちは、その第2伝とされている。

智通と共に、智周から法相宗を学んだ。帰国後は大和国飛鳥寺で法相宗をひろめた。
脚注[脚注の使い方]^ 『日本書紀』斉明天皇3年是歳条
^ 『日本書紀』斉明天皇4年7月是月条

参考文献

『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』p804、
三省堂、1993年

『日本書紀』(四)岩波文庫、1995年

『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫宇治谷孟:訳、1988年

『新訂 旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝 ?中国正史日本伝(2)』石原道博:編訳、岩波文庫、1956年

『倭国伝 中国正史に描かれた日本』全訳注、藤堂明保竹田晃、影山輝國、講談社学術文庫、2010年











唯識 (大乗仏教瑜伽行派)
教義

心王 - 心所 - 煩悩 - 末那識 - 阿頼耶識 - 種子 - 薫習 - 三類境 - 一水四見 - 遍計所執性 - 依他起性 - 円成実性 - 転識得智

インド

弥勒 - 無著 - 世親 - 徳慧 - 安慧 - 親勝 - 歡喜 - 淨月 - 火辨 - 勝友 - 勝子 - 智月 - 陳那 - 無性 - 護法 - 戒賢 - 法称 - 寂護 - 蓮華戒
中国

真諦 - 玄奘 - - 慧沼 - 智周
日本

道昭 - 智通 - 智鳳 - 行基 - 義淵 - 玄ム - 徳一 - 真興 - 貞慶 - 良遍 - 光胤

華厳経 - 解深密経 - 大乗阿毘達磨経

瑜伽師地論 - 摂大乗論 - 唯識三十頌 - 唯識二十論 - 成唯識論 - 述記 - 了義燈 - 演秘 - 同学鈔 - 観心覚夢鈔
学派

瑜伽行唯識学派 - 無相唯識派 - 有相唯識派
宗派

法相宗: 興福寺 - 薬師寺、北法相宗: 清水寺聖徳宗: 法隆寺
ウィキポータル 仏教










仏教
基本教義

四諦

八正道

中道

三相

無常



無我


解脱涅槃

人物

釈迦

十大弟子(舎利弗/目連/大迦葉/須菩提/富楼那/迦旃延/阿那律/優波離/羅?羅/阿難)

龍樹

無著

世親

玄奘

達磨

世界観

輪廻(サンサーラ)

三千大千世界

六道(天界/人間道/修羅道/畜生道/餓鬼道/地獄道)

三界

重要な概念

無明

十結

五蘊

渇愛

煩悩

三毒//

五蓋




三業


唯識

仏性

三法印四法印

諸行無常

諸法無我

涅槃寂静

一切皆苦


心所

解脱への道

菩提

菩薩

四向四果 (預流/一来/不還/阿羅漢)

成仏

三十七道品

三学 (/禅定/般若)

四無量心 (///)

瞑想 (サマタ/ヴィパッサナー)

布施

信仰対象

三宝//)

日本の仏尊如来/菩薩/明王/天部/垂迹神/高僧

分類/宗派

原始仏教


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:22 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef