景公_(秦)
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景公

第13代公
王朝秦
在位期間
前576年 - 前537年
都城雍城
姓・諱?石
諡号景公
生年不詳
没年景公40年(前537年
桓公
陵墓丘里南(秦公1号墓

景公(けいこう)は、の第13代公。桓公の子。
生涯

桓公27年(前577年)冬、桓公が薨去したため、後を継いで秦公となる。

景公15年(前562年)冬、秦はを援助し、軍を櫟(れき)で破った。この時、晋の悼公が諸侯の盟主となった。

景公18年(前559年)4月、晋の悼公は強盛で、しばしば諸侯と会合し、諸侯を率いて秦軍を破った。秦軍が敗走すると、晋軍はこれを追って水を渡り、?林(よくりん)まで行って引き返した。

景公27年(前550年)、景公は晋へ赴き、晋の平公と和睦を誓ったが、やがてまたこれに背いた。

景公36年(前541年)、景公の母の弟である后子鍼(かん)が景公の寵愛を受けたため、その家は裕福になった。夏、ある者がこれを讒言すると、景公の誅殺を恐れた后子鍼は晋へ逃亡した。

景公40年(前537年)秋、薨去し、子の哀公が立って秦公となった。
参考資料

春秋左氏伝』(襄公十一年、十四年、昭公元年、五年)

史記』(秦本紀第五)










(前576年 - 前537年)


非子 前900-前858

秦侯 前857-前848

公伯 前847-前845

秦仲 前844-前822

荘公 前821-前778



襄公 前777-前766

文公 前765-前716

憲公 前715-前704

出子 前703-前698

武公 前697-前678

徳公 前677-前676

宣公 前675-前664

成公 前663-前660

穆公 前659-前621

康公 前620-前609

共公 前608-前604

桓公 前603-前577

景公 前576-前537

哀公 前536-前501

恵公 前500-前491

悼公 前490-前477

視、公 前476-前443

躁公 前442-前429

懐公 前428-前425

霊公 前424-前415

簡公 前414-前400

恵公 前399-前387

出公 前386-前385

献公 前384-前362

孝公 前361-前338



恵文王 前337-前311

武王 前310-前307

昭襄王 前306-前251

孝文王 前250

荘襄王 前249-前247

政王 前246-前221

皇帝

始皇帝 前221-前210

二世皇帝 前209-前207

子嬰 前207
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