晃_(歌手)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

AKINA (1999年生の歌手)」あるいは「AKINA (1985年生の歌手)」とは別人です。
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この存命人物の記事には検証可能出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "晃" 歌手 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年2月)


出生名玉元 晃
生誕 (1961-05-09) 1961年5月9日(63歳)
出身地沖縄県具志川市(現・うるま市
ジャンルJ-POP
職業歌手
ミュージシャン
担当楽器ボーカル・ギター
活動期間1970年 -
事務所フリー
公式サイトhttps://ameblo.jp/t-akira5

晃(あきら、本名:玉元 晃〈たまもと あきら〉、1961年5月9日 - )は、日本歌手ミュージシャン

沖縄県具志川市(現・うるま市)出身。1970年、ベイビーブラザースでキングレコードからデビュー。その後、フィリップス・レコード(日本フォノグラム)に移籍し、1973年、晃が当時12歳の時、フィンガー5のメインボーカルとなり、「個人授業」が100万枚を超える大ヒットを達成し、その後、「恋のダイヤル6700」(158万枚)、「学園天国」(105万枚)と次々にミリオンセラーとなる。

現在は晃としてテレビ、ラジオ出演やライヴハウス等で音楽活動の他、同窓会コンサート[1]や「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」に出演し、全国各地を回っているほか、江木俊夫(フォーリーブス )、あいざき進也加藤高道(狩人)と共にユニット(TASTE4)を結成し、年に数回、ライブを行っている。
来歴
デビューまで

1961年5月9日、沖縄県具志川市にて父・松市、母・ヒサエの4男として誕生。まだ沖縄がアメリカの占領下のこの頃、父が経営するAサインバーのジュークボックスからいつも洋楽が流れる環境の中に育つ。そしてその音楽に刺激を受けた兄弟、兄・一夫(小6)、光男(小5)、正男(小3)で小学生バンド『オールブラザーズ』を結成する。

オールブラザーズが沖縄テレビ『歌謡ワンダフル・ショー』エレキコンテストに出場して優勝。そして、東京へ行きたいと父に頼む子供達の熱意に父は東京行きを決心する。晃が7歳の頃。

東京都東村山市に移転。長男のもとで幼い晃、妙子を加え猛特訓。そして4年間、米軍キャンプめぐりをしてステージをこなす。
ベイビーブラザース時代

仲宗根プロを通じてベイビーブラザーズとしてキングレコードから「私の恋人さん」(作詞・正男 作曲・一夫)(6万枚)〈B面:自由な世界〉で念願のデビューを果たす。

ジングル・ベル(4万枚)〈B面:赤鼻のトナカイ

白い天使(2万枚)〈B面:僕たちの秘密〉

フィンガー5時代

故郷・沖縄が本土復帰した1972年、活動休止し帰郷を考えていた頃、キャロルを世に出したばかりの井岸義測[2]が彼らの才能に目をつけ、心機一転、フィンガー5として再デビューを果たす。フィリップス・レコード日本フォノグラム)に移籍、シングル「キディ・キディ・ラブ」をリリース。

1973年

8月25日 「個人授業」(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)発売。一週間でヒットチャートトップの座にのぼりつめる。(145万枚)

「聖しこの夜・聖しこの夜(カラオケ)」〈B面:「赤鼻のトナカイ・ジングル・ベル」〉発売

第2弾「恋のダイヤル6700」発売(158万枚。前作に続きチャートNo.1を獲得)


1974年

第3弾「学園天国」発売(105万枚)

恋のアメリカン・フットボール」発売

7月5日 ソロアルバム『あきら ぼくの好きな歌』発売。

7月25日 『映画フィンガー5の大冒険』公開

ソロシングル「つばさがあれば」発売
この頃から少しずつ変声期がはじまる。

8月22-25日 東京の浅草国際劇場にて、デビュー1周年リサイタル個人授業で再スタートし1年、記念すべきステージとなる。

9月10日 「上級生(恋の大予言)」発売

10月3日 日本武道館にてデ・フランコ・ファミリーとジョイントコンサート。

12月 「フィンガー5とクリスマス・パーティー」発売

12月25日 「華麗なうわさ」発売
この年、日本レコード大賞 ヤングアイドル賞受賞。日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞受賞。

1975年

2月5日 「名犬ラッシー」発売

3月5日 「バンプ天国」発売

5月 ポリドールに移籍。それと同時に事務所として『フィンガーファミリー』設立する。

6月-7月 自分たちのやりたい音楽とは遠ざかっていたことに疑問を感じ始め、渡米を決意。そしてアメリカ縦断サヨナラ・コンサート。

6月21日 「ぼくらのパパは空手の先生」発売

8月2日 アメリカに向けて日本出発。ロサンゼルス郊外に居を構えハイレベルな音楽追求のためレッスン。
アーティストユニオンに加盟

11月21日 「帰ってくるよ」発売


1976年

2月9日 帰国

2月21日 「ジェット・マシーン」発売

3月 アルバム 『ジェット・マシーン?ニュー・フィンガー5から愛をこめて』発売。

3月13日-4月 アメリカからの帰国報告コンサートが、中野サンプラザをはじめに日本縦断で行われた。

6月1日 「飛べ!すてきなベイビー」発売

9月21日 「101人ガールフレンド」発売

12月21日 「モンローウォークのお嬢さん」発売


1977年

2月21日 AKIRAソロシングル、「メリージェーン」発売

港区立中学校卒業後、青山のギタースクールに通う。

5月1日 「恋のラッキーストライク」発売

7月21日 「スーパーカーブギ」発売

11月1日 「ぼくは眠れない」発売


1978年

2月1日 「やきもちボーイ」発売

6月21日 「悩ませないで」発売
この年、フィンガー5としては実質的に解散・引退と言われている。

ザ・フィンガーズ時代

光男・正男と組んでザ・フィンガーズと改名。

1980年いっぱい頃まで活動を継続したが、その後活動を休止することとなる。 この頃、レギュラー番組、ラジオ関東『歌をさがそうフィンガーズ』が放送される。オープニング曲には 「CRAZY TOWN CRAZY NIGHT」、エンディング曲には「Goodbye Memory」が使われていた。その後好評のため、延長して放送される。

1979年

7月25日 「CRAZY TOWN CRAZY NIGHT」発売

10月25日 「Goodbye Memory」発売


1980年

3月25日 『BAND BOY』発売


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef