時代劇
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時代劇(じだいげき)は、日本の演劇映画テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である[1][2]
概要
時代劇の定義

時代劇というジャンルは、その作品の数から、主に平安時代から明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。しかしあくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。奈良時代以前の古代も含まれるという解釈も存在する[注釈 1]キネマ旬報社2012年発行の『現代映画用語事典』では「明治維新以前の時代を扱う日本映画で、特に戦国時代から江戸末期までを題材とした剣戟映画チャンバラを含む映画)が時代劇映画の主軸として捉えられ、一般に時代劇とのみ称される」と説明され[3]日本図書センター2008年発行の『世界映画大事典』では「明治維新の頃より以前の時代を扱った劇映画の呼称で、現代劇に対するジャンルとして多様な広がりを持っている」[4]と書かれており、また「髷(マゲ)を結んだ人物が主な登場人物であれば全て時代劇映画と定義する」[5]とするもの、など解釈は多様である。英米では「period drama」もしくは「costume drama」と訳されたが、近年はそのまま「Jidaigeki」と呼ぶ例も増えている[3]。時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。
チャンバラ

時代劇は一方でチャンバラとも呼ばれる。これはクライマックスに剣戟シーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即チャンバラではない。語源は新国劇からの剣劇[6]の影響を受けた剣戟映画で、立ち回り(殺陣)で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である[7]

またこれとは別に時代劇は俗に髷物(まげもの)、丁髷物(ちょんまげもの)とも言われ[2]、英語では「Samurai cinema」「Samurai film」あるいは「Samurai drama」[注釈 2]と表記されている[注釈 3]
歴史劇

時代劇に対して「歴史劇(史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別する時代小説歴史小説とは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」或いは「史劇」と呼び分けている。
フィクションとしての時代劇

時代劇は、実際にあった歴史上の事件や歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞などが大胆にフィクション化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受け入れやすいようになっている。

一般論として、時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、同じ題材を扱っていても全く解釈の異なる作品が生み出されている[注釈 4]
時代劇の誕生

「時代劇」という用語はもともと活動写真から誕生した言葉であり、映画の歴史と共に歩んできたジャンルである。そして映画が活動写真と呼ばれていた最初の頃には、厳密に時代劇と呼ばれるジャンルは無かった。
旧劇映画

1899年(明治32年)に当時の歌舞伎の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の演目を撮影した「紅葉狩」が現存する日本最古の映画として一部フィルムが残っているが、これは映画興行を目的としたものではなく、あくまで記録として残されたものである[8][注釈 5]。そして映画興行の目的で撮影された最初の時代劇映画は1908年(明治41年)に牧野省三(後のマキノ省三)が製作した『本能寺合戦』をもって嚆矢とするものである。ただしこの初の時代劇は、当時は旧劇と呼ばれていた[9]

明治から大正時代の半ば過ぎまでの時代物全般は旧劇であった。講談・歌舞伎からの題材が多く、人物造形・衣装・化粧・演技・立ち回り・女形など、舞台の名残を強く留め、声色弁士と邦楽器による鳴り物・囃子の伴奏が多かったと言われる[10]
時代劇映画以前の呼称

1920年代に入った頃に当時「映画劇」と呼ばれる日本映画の革新運動が起こり、欧米を模範にシナリオの重視、映画技法の活用と表現の工夫、弁士に依存しない字幕の利用、そして女優の採用などこの時期までの活動写真とは違う、撮影や編集までの映画全般に及ぶ内容の新しさを求めた運動が起こった。それに刺激を受けた形で、旧劇映画についても「旧劇の映画劇化」「旧劇映画改造論」「映画劇的な旧劇」といった言葉が活動写真の論評に使われていた[11]

本能寺合戦』以降に映画の題名と共に宣伝に使われた呼称を列挙すると、旧劇、革新旧派映画、純映画劇、新映画劇、旧派純映画劇、新時代劇および新時代映画、時代劇および時代映画となる[12]。革新旧派映画は旧劇様式ではあるがロケ撮影を生かした自然描写、細かいカット割りがあり、しかし女形を採用していた。映画劇は欧米風の映画様式に近づけたもので、脚本と撮影技法を重視し字幕を使い、そして女優を採用した。純映画劇も新映画劇も同じで、マキノ省三監督の『実録忠臣蔵』は新映画劇と呼ばれたが女形の採用は残っていた。旧劇をいくらかでも映画劇に近づけたものだが、女優を採用したのは旧派純映画劇であった。そして旧劇の映画劇化をさらに進めたのが新時代劇および新時代映画と呼ばれたもので、新しい解釈、新しい視点を入れて、演技も新劇系を導入し、女優を採用している[12]

旧劇映画の芝居臭さ、荒唐無稽の非現実性、女優不在の不自然さに対して、やがてそれらに対して作られていったのが「新時代劇」という呼称の新しい時代劇であった[13]
最初の時代劇映画


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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