時代劇スペシャル_(フジテレビ)
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『時代劇スペシャル』(じだいげきスペシャル)とは、1981年(昭和56年)4月から1984年(昭和59年)3月まで、フジテレビ系列で放送された毎回完結の2時間時代劇テレビ映画専門放送枠である。
概要

1980年当時のフジテレビは、ゴールデンタイムは全般的に不振であったが[1]、特に金、土曜は一ケタ番組がズラリと並んでお寒い限りだった[1]。そこで編成としては、金曜の夜を改編の突破口としようと考えた[1]。ところが、金曜の夜8時といえば、日本テレビは『太陽にほえろ』が常時20%台を堅持し、TBS武田鉄矢の『金八先生』が30%を超える勢いでテレビ朝日も『ワールドプロレスリング』が一定の視聴者層を獲得し、民放では激戦区の一つだった[2]

裏番組を考慮して編成が出してきたのが[3]、フジテレビ大改革の象徴的な位置付けとして、毎週2時間の新作時代劇を放送するという前代未聞のプロジェクトであった[4]。フジの時代劇は、他局ほど多くはないが、かつて『三匹の侍』で注目を集め、大川橋蔵の『銭形平次』では堂々たる貫禄を見せ、また中村敦夫の『木枯し紋次郎』では、「あっしには、かかわりのネェことでござんす」が流行語になるなど、時代劇ファンを若年層まで広げた実績があった[3]。着想の新しさに魅力を感じた専務(編成・制作担当)の村上七郎は、「これぞ新生フジの先達だ」と思い、早速飛びついた[3]

こうして『時代劇スペシャル』の登場と相成ったのだが、誰にやってもらうのかが問題となった[3]。そこで村上が日枝久編成局長に尋ねると、「それは太郎さんでしょう」との返事だった[3]。早速、よろめきドラマといわれた『日日の背信』を演出し、「アップの太郎」といわれる技法を編み出したディレクターである岡田太郎を呼び出し[3]、村上がこの企画の話をすると時代劇の経験のなかった岡田は驚いた様子だったが、「このスペシャルは君一人でやるわけではなく、うちには時代劇の経験者も大勢いるので、彼らを集めてチームを作り、君が総大将となってまとめてゆけばよいではないか」と説得した[3]。すると岡田は「時代劇は初めてだが、とにかくやってみましょう。スタートは秋ですか」と尋ねるので、村上が「これは大改編の目玉でもあるので、大変なことだと思うが、私も性急な男、何とか4月開始にしてもらいたい」と言った。岡田は「ええーっ」と大きな声を出して驚いたが、すぐさまプロジェクトチームを結成すると検討が始まった[5]。メンバーは、編成畑から高橋久仁男、中村逸郎、白川文造重村一能村庸一、北島正巳(広報担当)、制作畑から沢井謙次、河村雄太郎、南條武史で構成された[5]

突貫工事で始まった『時代劇スペシャル』は、1981年4月17日スタートすることになり、第1回はフジの看板番組『銭形平次』の大川橋蔵が主演する長谷川伸原作の『沓掛時次郎』(監督松尾昭典)で視聴率は17.3%であった[6]。第9回目では、若山富三郎の『御金蔵破り』が19.2%と、編成念願の20%に迫り、2ヵ月前まで一ケタ番組に泣いたフジが、同時間帯で何年ぶりかで首位争いに加わり[6]、放送開始から1年ほどは快進撃を続けた。しかし、映画『鬼龍院花子の生涯』で映像監督業に復帰した五社英雄(フジテレビOB)が10年ぶりの手掛けた『丹下左膳 剣風!百万両の壺』(1982年10月22日放送)をピークに視聴率が低下。このため野心的な企画は影を潜めるようになり、シリーズものや定番ものが増え、また1983年10月6日から放送枠を移動したことで視聴率はさらに悪化し、放送開始から3年で終了した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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