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株式会社時事通信社[1]
Jiji Press Ltd.[1]
時事通信ビル(本社)
種類株式会社
略称時事
本社所在地 日本
〒104-8178[1]
東京都中央区銀座5丁目15番8号
(時事通信ビル)[1]
設立1945年11月1日[1]
業種通信、報道
法人番号7010001018703
事業内容マスメディアへのニュース配信
デジタル向けニュース配信
金融、証券、商品、行政向け
ニュース配信[1]
代表者代表取締役社長 境克彦[1]
資本金4億9500万円
(2021年3月31日現在)[2]
発行済株式総数990万株(2015年3月末現在)
売上高157億円
(2023年3月期)
純利益6億8898万8000円
(2020年3月31日現在)[3]
純資産272億8334万6000円
(2021年3月31日現在)[2]
総資産392億6495万3000円
(2021年3月31日現在)[2]
従業員数1145人(2023年3月末現在)[1]
決算期3月31日
主要子会社内外情勢調査会(一般社団法人)
地方行財政調査会(一般社団法人)
中央調査社(一般社団法人)
時事通信フォト(旧PANA通信社)
時事総合研究所
時事通信出版局
時事通信ビル管理[1]
関係する人物長谷川才次(初代代表取締役)
外部リンクhttps://www.jiji.com/
特記事項:同盟通信社(前身)、共同通信社(同盟通信社分割により発足したもう一方の法人)
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株式会社時事通信社(じじつうしんしゃ、英: Jiji Press Ltd.)は、1945年(昭和20年)11月に創立された日本の民間通信社である[4]。同盟通信社の法人サービス部門が母体[4]。国内60カ所、海外24カ所の支社や総支局[1] を有する。
報道機関や出版社などに事件や政治といった一般ニュースを配信しているほか、行政機関や金融機関に対しても行政・経済の専門ニュース(実務ニュース)配信を行っている[5]。
以前は略語に JP (JijiPress) を使用していたが、現在は Jiji を使用している。 戦前の国策通信社であった同盟通信社には終戦後GHQから圧力が加えられていた[6]。GHQが日本政府へ「日本政府のニュース統制の排除、各国の外電通信提供の自由及び政府の助成機関たる同盟通信社の特権剥奪」(昭和21年9月24日)の指令を出したのをきっかけとして[6][7]、同盟通信社は1945年(昭和20年)10月31日解散、共同通信社との2社に分割した。主に経済ニュースを民間企業向けに配信する部門と『世界週報』(同盟時代の『同盟世界週報』)をはじめとする出版業務を引き受けたのが時事通信社で、一般報道部門は共同通信社に移った。共同通信社とは異なり、設立当初から株式会社組織である。 同盟の目ぼしい遺産は共同が引き継ぎ、さらに時事は外地から引き揚げて来る元同盟社員の受け皿とされたために人件費がかさみ、船出が設立当初から順調には進まず、苦難の道を歩まざるを得なかったのである[8]。 1949年(昭和24年)には日本商業通信社(もとは1887年発足の東京急報社)と統合。また、AP通信、ロイター(のちのトムソン・ロイター)、AFPといった海外の大手通信社とも発足初期より提携関係を結び、戦後直後の混乱期において、海外情報の情報源としての役割を果たしていた。 共同通信社とは分割時から再統合を視野に入れていたため、当初はニュース分野で棲み分けていたが1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックをきっかけに時事がマスメディア向けニュースサービスに進出、両社とも互いの分野を侵食し合う競合関係となって再統合構想は消滅した。 同盟解散時、古野伊之助は将来時事と共同が再合同することを期していた。一般ニュース分野と経済通信分野とに分割して棲み分けを図ったのも、両社の無用な衝突を避けるためである。そして「時事は、一般ニュースを必要とする場合は共同から無料で供給してもらえばよい。専用線も共同のものを無償で使用すればよい」としていたが、実際に分社化するとそのようにはいかなかった。一般ニュースの自主取材は「覚書」によって厳しく制限され、また、敗戦後間もない日本経済は著しく疲弊しており、経済通信での収入も芳しくなかった。 このため、1949年(昭和24年)7月14日に長谷川才次社長が松方三郎共同常務理事(松方正義の末子)と直接交渉し、両者は「覚書」の撤廃に合意した。以後、共同から時事へのニュース供給は途絶し、古野の意図に反して両社の本格的な抗争が始まった[9]。 民間の通信社がマスコミから得られる収入はわずかで、大半の社は金融機関向けの情報サービスを稼ぎ頭としている。この収入構造は時事通信も同じだが、1971年(昭和46年)に大蔵省(現財務省)の指導のもと、日本経済新聞社が子会社「株式会社市況情報センター (QUICK) 」を設立して、金融機関向けに開始した経済情報サービス専用端末「ビデオ-I」で経済情報サービス分野に参入した為、急速に市場を奪われ、新たな脅威の出現により、時事の経営が悪化[10]、さらなる苦境に陥った。
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