昭節貴妃(しょうせつきひ、1017年 - 1086年)は、北宋の仁宗の貴妃。姓は苗氏。生涯仁宗の乳母の許氏(後に粛成賢穆呉越国夫人となった)の次女として生まれた。父の苗継宗は右班殿直に封ぜられたが、姉の苗氏は永安県君に封ぜられた。初め仁寿郡君に授され、才人となり、昭容、賢妃に進み、徳妃にいたった。趙マと福康公主(荘孝明懿帝姫)を産んだ。英宗が即位すると、貴妃に上った。元祐元年(1086年)、薨去した。昭節と諡された。伝記資料『宋会要輯稿』 記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示
仁宗の乳母の許氏(後に粛成賢穆呉越国夫人となった)の次女として生まれた。父の苗継宗は右班殿直に封ぜられたが、姉の苗氏は永安県君に封ぜられた。
初め仁寿郡君に授され、才人となり、昭容、賢妃に進み、徳妃にいたった。趙マと福康公主(荘孝明懿帝姫)を産んだ。
英宗が即位すると、貴妃に上った。元祐元年(1086年)、薨去した。昭節と諡された。伝記資料『宋会要輯稿』