昭帝 劉弗陵
前漢
第8代皇帝
漢昭帝(『歴代帝王図巻』より、ボストン美術館蔵)
王朝前漢
在位期間後元2年2月15日 - 元平元年4月17日
(前87年3月30日 - 前74年6月5日)
都城長安
姓・諱劉弗陵
諡号孝昭皇帝
生年太始3年(前94年)
没年元平元年4月17日
(前74年6月5日)
父武帝
母趙?、
后妃上官皇后
陵墓平陵
年号始元 : 前86年 - 前80年
元鳳 : 前80年 - 前75年
元平 : 前74年
※諱は単に弗とも
昭帝(しょうてい)は、前漢の第8代皇帝。 武帝の末子として生まれる。征和2年(前91年)の巫蠱の禍で長兄の?太子劉拠およびその一族が誅滅されると、武帝は新たな後継者を指名する必要に迫られた。しかし各地に冊封された武帝の皇子たち(昭帝の異母兄たち)は早世または言動に問題があるなど適任者がなく、幼少の末子である劉弗陵が皇太子に立てられた。その際、母の趙?、は呂雉のような外戚の専横を未然に防ぐ目的で、武帝の命により殺害されている。 後元2年(前87年)、武帝の死去によりわずか8歳で即位した。武帝が生前に昭帝の後見を依頼していた大司馬大将軍の霍光、左将軍の上官桀、車騎将軍の金日?により政務が輔弼され、間もなく金日?が死去すると霍光と上官桀の両者による後見が行われた。当初は良好な関係にあった両者であるが、徐々に霍光に権力が集中し、一方で上官桀の孫娘が昭帝の皇后として入内すると関係は悪化し、霍光に不満を持つ武帝以来の旧臣で御史大夫の桑弘羊と昭帝の即位に不満を抱く燕王劉旦(昭帝の異母兄)が上官桀派になったことで朝廷は不安定なものとなった。 上官桀派は昭帝を廃位し燕王を皇帝に擁立しようとするも失敗、元鳳元年(前80年)までに処刑、もしくは自殺に追い込まれ、以降は霍光が輔政の任にあたり、その子弟がこれを補佐するという体制が宣帝の代の初期まで続くこととなる。 昭帝の代の政治の特色としては、武帝以来の専売制を弱め、国力の回復に専念したことにある。霍光の意向を受け専売制の廃止を訴える儒者と、専売制の続行を進めようとする桑弘羊との論争をまとめたものとして『塩鉄論』があるが、これは昭帝の代に行なわれた両者の論争を元にまとめられたものである。 元平元年(前74年)に数え21歳で急病に倒れ、1カ月ほど病床についたのち死去した。
生涯
登場作品
テレビドラマ
『漢武大帝』(2004年、中国、演:孫?ト
『雲中歌 ?愛を奏でる?』(2013年、中国、演:ルー・イー
太上皇
劉?
代王
劉喜 (1)高祖
劉邦 楚王
劉交
呉王
劉? 斉王
劉肥 (2)恵帝
劉盈 趙王
劉如意 (前3)文帝
劉恒 淮南王
劉長
斉王
劉襄 城陽王
劉章 *前少帝
劉某 *後少帝
劉弘 (4)景帝
劉啓 梁王
劉武 淮南王
劉安
臨江王
劉栄 中山王
劉勝 長沙王
劉発 (5)武帝
劉徹
左丞相
劉屈? (追)戻太子
劉拠 燕王
劉旦 (6)昭帝
劉弗陵 昌邑王
劉?
(追)悼皇
劉進 *昌邑王
劉賀
(7)宣帝
劉詢
(8)元帝
劉? 楚王
劉囂
(9)成帝
劉? (追)恭皇
劉康 中山王
劉興 劉勲
(10)哀帝
劉欣 (11)平帝
劉? 劉顕
*孺子
劉嬰
表
話
編
歴
前漢の第8代皇帝(前87年 - 前74年)
高祖前206-前195
恵帝前195-前188
前少帝前188-前184
後少帝前184-前180
文帝前180-前157
景帝前157-前141
武帝前141-前87
昭帝前87-前74
昌邑王前74
宣帝前74-前49
元帝前49-前33
成帝前33-前7
哀帝前7-前1
平帝前1-5
(孺子嬰6-8)