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昭和34年台風第7号
ジョージア台風
カテゴリー3の タイフーン (SSHS)
発生期間1959年8月12日0時(UTC)?8月14日18時(UTC)
寿命2.7日間(66時間)
最低気圧960 hPa
最大風速
(気象庁解析)
最大風速
(米海軍解析)110 kt(1分間平均)
被害総額
移動距離2,563 km(平均移動速度:38.8 km/h)
死傷者数死者188人・行方不明者47人・負傷者1,528人
被害地域 日本 (近畿?東北、特に甲信)
昭和34年台風第7号(しょうわ34ねんたいふうだい7ごう、国際名:ジョージア / Georgia)は、1959年8月に静岡県に上陸し、近畿地方や東海地方、甲信地方等に甚大な被害をもたらした台風である[1]。ジョージア台風とも呼ばれる[2]。
概要進路図
1959年8月12日9時、2日前にマリアナ諸島の東に発生した熱帯低気圧が北西に移動し、硫黄島の南東海上で台風7号に変わった[3][4][1]。7号は勢力を強めながら速い速度で北上して、14日の6時30分頃に、駿河湾を抜けて時速60 kmの速さで静岡県の富士川河口付近に上陸[5][1][6]。その後も北進を続けて、10時には新潟県上越市付近を通って日本海へ進み、15日には弱い熱帯低気圧に変わって沿海州に再上陸した[1]。 消防白書によると、この台風による被害は、死者188人・行方不明者47人・負傷者1,528人に加え、住家全壊4,089棟・住家半壊10,139棟・床上浸水32,298棟・床下浸水116,309棟となっている[1]。1951年の統計開始以降では、死者・行方不明者数が8番目に、負傷者数が6番目に、被害を受けた住家数が10番目に、浸水被害の件数が9番目にそれぞれ多い台風となり、日本における台風の歴史の中でも記録的な被害となった。 この台風では、特に甲信地方での被害が甚大で、犠牲者は山梨県で最も多く(90人)、長野県がこれに次ぐ(72人)[7]。また、強い風の範囲は狭かったものの、移動速度が速かったことから中心付近では風が非常に強く、山梨県甲府市で最大風速33.9 m/s(最大瞬間風速43.2 m/s)、静岡県石廊崎で48.8 m/s(同64.0 m/s)を記録した[8][1][5]。 山梨県や長野県など甲信地方の各地では、住家の倒壊や果樹の落下、河川の氾濫や土石流等の被害が甚大であった[5][9]。 また、近畿地方から関東地方にかけて200 mmを超える大雨が降り、山間部では600?800 mmに達した。岐阜県では、集中豪雨により牧田川が氾濫するなどした。7号が襲来する前の8月8日から10日にかけて、台風6号
被害
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g “台風第7号 昭和34年(1959年) 8月12日?8月14日