昭和28年西日本水害
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「西日本水害」はこの項目へ転送されています。「西日本豪雨」とも呼ばれる2018年の豪雨災害については「平成30年7月豪雨」をご覧ください。

昭和28年西日本水害村落へ押し寄せる流木(福岡県朝倉郡大福村)
発災日時1953年6月25日 - 29日

被災地域 福岡県、佐賀県熊本県
大分県など九州北部地域
災害の気象要因梅雨前線による集中豪雨
気象記録
最多雨量熊本県鹿本郡山鹿町で1,455.3注1 mm
最多時間雨量福岡県小倉市で101.0 mm
人的被害
死者759人
行方不明者242人
負傷者2,775人
建物等被害
全壊3,441棟
半壊29,588棟
床上浸水200,298棟
床下浸水252,895棟
被害総額2217億円
1953年時価)
出典:

[1]

注1:1953年6月25 - 29日の期間中総雨量。

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昭和28年西日本水害(しょうわ28ねんにしにほんすいがい)は1953年昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州地方北部(福岡県佐賀県熊本県大分県)を中心に発生した、梅雨前線を原因とする集中豪雨による水害である。

阿蘇山英彦山を中心に、総降水量が1,000ミリを超える記録的な豪雨により、九州最大の河川である筑後川をはじめ白川など、九州北部を流れる河川がほぼすべて氾濫、流域に戦後最悪となる水害を引き起こし、死者・行方不明者1,001名、浸水家屋45万棟、被災者数約100万人という大災害となった。

この水害により、筑後川など九州北部の河川における治水対策が根本から改められることになり、現在においても基本高水流量の基準となっている。

この九州北部を襲った水害には、気象庁による明確な災害名がつけられておらず、熊本県では「白川大水害」または「6.26水害」、北九州市では「北九州大水害」など、地域によってさまざまな呼称が用いられているほか、諸文献によっても災害名称が異なっている。本記事名は土木学会西部支部の調査報告書に準拠し、「昭和28年西日本水害」と呼称する。なお、本文中の自治体名は、1953年当時の自治体名(括弧内は現在の自治体名)を用いる。
原因[ソースを編集]

昭和28年西日本水害が九州北部地域に甚大な被害をもたらした原因として、集中豪雨が発生しやすい梅雨末期の気象要因、阿蘇山の噴火活動による地質的な要因、および九州北部を流れる河川流域の地形的な要因などがあり、それらが複合して被害を大きくしている。
気象要因[ソースを編集].mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}福岡市北九州市▽久留米市佐賀市△長崎市▽大分市△熊本市延岡市山鹿:総雨量1,455.3mm、528.0mm/日上野田:総雨量1,148.5mm宮原:総雨量1,002.6mm小倉:101mm/時間小倉門司八幡:北九州大水害飯塚田川遠賀郡:遠賀川水系氾濫京都郡:祓川今川氾濫築上郡:山国川氾濫福岡周辺:那珂川御笠川等氾濫玉名菊池:菊池川水系氾濫熊本阿蘇:白川大水害筑紫平野広域:筑後川嘉瀬川矢部川水系氾濫日田周辺:玖珠川氾濫大分:大分川氾濫 主な被害地域と降水量の記録地点九州北部で最多雨量記録となる雨が降ったころ、6月26日9:00の地上実況天気図対馬付近に低気圧があり、そこから上海の南を経て華中の低気圧へと梅雨前線が延びる。また、九州南岸から本州南岸を通って福島沖へも梅雨前線が延びており、この付近は太平洋高気圧と低気圧に挟まれて等圧線の間隔が狭くなっている。一方、北京付近には高気圧が張り出している。

1953年6月当時の九州地方の気象概況は、梅雨前線がいったん九州北中部に停滞し、上旬には福岡市長崎県で、中旬には熊本県で大雨を降らせたが[1]、その後奄美大島付近までいったん南下し、奄美大島と屋久島の間を上下するという状態であった。一方フィリピンルソン島付近にあった太平洋高気圧がしだいに勢力を強くして梅雨前線を押し上げ、6月21日には対馬海峡付近に達した。


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