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この項目では、昭和時代の近代市民文化における「昭和モダン」について説明しています。
競走馬については「ショウワモダン」をご覧ください。
山崎まさよしの歌唱楽曲については「服部良一 ?生誕100周年記念トリビュート・アルバム?」をご覧ください。
昭和モダン(しょうわモダン)とは、昭和時代の初めの1930年代に花開いた、和洋折衷の近代市民文化のことである。現在では1920年(大正9年)以後の文化(大正ロマン)も含む。昭和時代は第二次世界大戦を挟んで戦前と戦後に分かれるが、昭和モダンは戦前に該当する。淡交社「写真集成・京都百年パノラマ館」昭和天皇即位礼1928年 1926年に昭和という時代が始まり、第一次世界大戦の戦勝国で、アジアで唯一の先進国かつ独立国の日本でも東京、横浜、大阪、神戸など大都市を中心に大量消費社会が本格化し、旺盛な日本市場を狙いヨーロッパやアメリカ企業の進出が相次いだ。 その一方で、1910年頃にヨーロッパで花開いたアール・ヌーボーやアール・デコといった機能と美しさと兼ね備えた様式が日本にも浸透していった。フランスのシャンソンやアメリカ合衆国で流行ったジャズやチャールストン、カルロス・ガルデルが歌うアルゼンチン・タンゴといった大衆音楽も蓄音機の普及やラジオ放送の開始などで多くの人が聞くようになった。 またハリウッド映画の草創期であり、チャールズ・チャップリン、バスター・キートンと言ったコメディアン、グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリヒといった女優の出演する映画が映画館で娯楽として見られ、アメリカ映画企業の日本進出も進んだ。チャップリンはこの時期に来日している。映画の技術革新が進み、サイレント映画からトーキー映画への移行が見られたのもこの時期である。 このように大衆文化が開花した時期にはクラシック音楽ではトスカニーニ、ラフマニノフ、コルトー、エンリコ・カルーソー、ティノ・ロッシなどの優れた音楽家、ピアニスト、歌手が活躍し、日本でも人気を博していった。山田耕筰はラフマニノフの来日を後年出迎えている。 このように、ヨーロッパやアメリカの新しい文化、消費文化が流入、受容される中、日本でも大都市を中心に、西洋と日本独自の近代的な影響を独自に消化した文化が醸成されていった。 大正時代に引き続き竹久夢二の美人画や高畠華宵の美少年・美少女の挿絵などが絶大な人気を得、日本独自の識字率の高さから北原白秋、西條八十などの作詞による抒情詩が愛読・愛謡された。また『改造』、『キング』、『文藝春秋』などといった総合雑誌や、岩波文庫や円本と呼ばれる廉価な書籍が刊行され、教養の大衆化が進んだ。 川端康成、横光利一などの新感覚派文学や、吉川英治、中里介山などの大衆文学が出現。雑誌『新青年』などでは江戸川乱歩や夢野久作などの怪奇幻想趣味、あるいはエログロナンセンスと呼ばれる作風が一世を風靡し(この分野の開拓者は大正時代の谷崎潤一郎である)、また日夏耿之介が東西古今の怪奇・幻想作品の紹介を行った。黄金バット、フクちゃん、のらくろ、少年探偵団シリーズといった児童向けの娯楽作品が隆盛を極めた。 その他、映画では嵐寛寿郎、大河内伝次郎、阪東妻三郎といった時代劇スターが現れ、音楽では服部良一、古賀政男や中山晋平と言った作曲家や淡谷のり子、藤山一郎、東海林太郎、ディック・ミネなどの歌手が活躍した。川畑文子やベティ稲田、バッキー白片ら日系アメリカ人が本場仕込みのジャズやハワイアンを武器に活躍したのも、この時代の特徴である。 大劇場の建築ラッシュが起こり、都心部に東洋劇場、日本劇場、東京劇場、宝塚大劇場、東京宝塚劇場、日比谷映画劇場が建設された。 また生活様式も大きく変わり、第16回衆議院議員総選挙(普通選挙)が開始、服装も女性は着物(和服)に日本髪といったものから洋服を着、断髪し帽子をかぶるといったことが一部の勤め人では一般に浸透しつつあり、それにともない都会では女性の社会進出も進み、タイピストや「バスガール」と呼ばれたバスの女性車掌、ウェイトレス(当時は女給と呼ばれた)など職業婦人が出現するようになった。最先端の洋装を着た女性は「モダン・ガール(モガ)」と呼ばれるようになった(男性版の「モダン・ボーイ(モボ)も存在した)。
歴史
第一次世界大戦の後で
国内の風俗
新生活
1933年頃の大阪市営地下鉄御堂筋線
水の江滝子を使ったダットサンの広告
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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