春畑道哉
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春畑 道哉
別名UNI
生誕 (1966-11-05)
1966年11月5日(57歳)
出身地 日本東京都町田市
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J-POP

ロック

職業

ギタリスト

作曲家

音楽プロデューサー

担当楽器

ギター

キーボード

ピアノ

活動期間1985年 -
レーベル

Sony Records

Sony Music Associated Records

事務所ホワイトミュージック
共同作業者

TUBE

松本孝弘(2005年)

公式サイト公式ウェブサイト

春畑 道哉(はるはた みちや、1966年11月5日 - )は、日本ギタリスト作曲家

東京都町田市出身。愛称は「ハル」。バンドTUBE」のメンバーで、ギター作曲を主に担当している。既婚。
人物

幼少時代に「ピアノを習いたい」と両親に頼み、ヤマハ音楽教室に通い始める[1]。小学6年の時、「ピアノは女がやるもんだ、男は野球」の理由で途切れるが、中学時代に春畑がピアノを弾けることを知った同級生からバンドに誘われピアノを再開させる。しかし舞台等で演奏する時、ステージ前方のギタリストが注目されることに対し自身のキーボードの位置がステージ端なことに不満を持ち、ギターを始める。家にあった父のアコースティックギターを手にし、実際自分でエレキを買った時期は高校の時であった。[1]

中学1年の時から同学年の友人達と組んでいたバンド名は「レインボー」。バンド編成は5人。リードギター、リズムギター、ベース、ドラム、キーボードの構成で、春畑道哉はリードギター担当。中学1年の段階で既に春畑のギターテクニックは卓越していた。「レインボー」や下記のアマチュアバンド「バッキングM」など複数のアマチュアバンドを掛け持ちしていた。

都立高校時代に「バッキングM」を再編成。忠生高校の春畑道哉(G)、野津田高校の田中実(G)、野村亮彦(B)、茂垣わみ(Vo)小川高校の有馬拓郎(Dr)をメインメンバーとし本格的にプロデビューを目指し、オリジナル曲を多数作り、様々なオーディションを受け、ライブ活動も多くなった。代表曲は、わみが作詞した「もう一度」。

1984年にビーイング主催の「シルクロード音楽祭」に出場、ベストギタリスト賞を獲得。同音楽祭でベストヴォーカル賞を獲得していた前田亘輝と互いに才能に惹かれ、後にビーイング事務所を通し出会うことになる。春畑は前田亘輝とその友人の角野秀行、角野の高校の後輩である松本玲二の4人でプロデビューを前提にアマチュアバンド「パイプライン」を結成。後に「The TUBE」と改称し、翌1985年6月1日にデビュー。1987年2月に、ソロデビュー。

1988年までのTUBEの作曲は数曲であったが、1990年以降はほぼ全ての作曲を担当することになる。作詞は数曲で、1987年「Smile On Me」、1988年「Go Ready Go」、「I Think of You」、2017年「スタートライン」で作詞を担当している。

1988年にJR四国の関西・首都圏向けCMイメージソングに「Sailing To Your Heart」が採用されたことを皮切りに、メディアのBGMやテーマソングに春畑の楽曲が頻繁に使用されるようになった。

1992年に「J'S THEME(Jのテーマ)」を発表、1993年のサッカーJリーグ開幕セレモニーで同曲を演奏した[2]

1998年より、16ビートを刻む楽曲「Jaguar」がフジテレビ系のプロ野球中継のテーマ曲として使用されている。この楽曲は、フジテレビとの楽曲使用契約によりCD化は未定と10年間言われてきたが[3]、2008年発売の「Michiya Haruhata BEST WORKS 1987-2008 ?ROUTE86?」にて、この年以降のプロ野球中継で使用された「JAGUAR '08」が、アレンジを加えられた形で初めて音源化された。また、この楽曲はプロレスラー金本浩二の入場テーマとしても使用されていた。2013年には更にリアレンジを施した「Jaguar '13」がシングルとしてリリースされ、2022年現在に至るまでプロ野球中継で使用されている。その一方で、原曲は永らく音源化が見送られていたが、2014年12月3日に発売された『フジテレビ開局55周年記念 LEGENDARY SPORTS ANTHEM』に収録され、登場から16年目にして初めて日の目を見た。

1992年に他アーティストに初めて楽曲提供を行う。同年はTWINZERの「LEAVE ME ALONE」、ZARDの「IN MY ARMS TONIGHT」、Mi-keの「Pink Christmas」。TWINZERの「LEAVE ME ALONE」に関してはサウンドプロデュースも行っている。以降、ビーイング系アーティストを中心に多数の楽曲提供をしている。

2000年頃からは前田亘輝との共同プロジェクト「PIPELINE PROJECT」を結成し、幅広いジャンルのアーティストへ楽曲提供している(提供楽曲詳細はPIPELINE PROJECT)を参照)。

TUBEでのデビューから30周年を迎えた2015年春にリリースされたシングル、いまさらサーフサイドのカップリング「Blue In Summer」にて、リードボーカルを担当。さらに、同年6月1日に開かれた武道館での記念ライブでも同曲を披露した。秋シングルのTONIGHT、冬シングルの灯台でそれぞれカップリングを務めた松本、角野は作詞・作曲を共に担当したが、Blue In Summerでは前田が作詞を担当、一方で夏リリースのSUMMER TIMEのカップリングとなった「トコナツPaPa」では春畑が作曲を担当した。
略歴

1984年 - アマチュアバンド「バッキングM」のギタリストとして
ビーイング主催の「シルクロード音楽祭」に出場。音楽祭で知り合った現TUBEのメンバーとアマチュアバンド「パイプライン」を結成。

1985年6月1日 - TUBEのギタリストとしてデビュー。

1987年2月26日 - 1stソロアルバム「Drivin'」リリースによりソロ活動開始。

1990年3月 - 初のソロライブ「SOLO LIVE GUITAR LAND」を行う。(日清パワーステーション、大阪MODA HALL、名古屋ボトムラインの3公演)

1990年10月・11月 - 学園祭に出演。(10月28日、目白学園女子短期大学・11月4日、東邦学園短期大学の2公演)

1991年2月・3月 - ソロライブツアー「LIVE AROUND DREAM BOX」を行う。全11公演。

1992年8月12日 - 他アーティストへの初の楽曲提供。TWINZERの「LEAVE ME ALONE」の作曲・編曲・サウンドプロデュースを手掛ける。

1993年5月15日 - 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で行われたJリーグの開幕戦「ヴェルディ川崎 vs 横浜マリノス戦」にて自身の1stシングルであるJリーグオフィシャルテーマソング「J'S THEME」を試合前に披露した。

1996年 - ソロ活動休止を宣言。佳苗のプロデュースを開始。

2000年10月21日 - 8thアルバム「RED BIRD」リリースでソロ活動再開。同年にソロツアー「LIVE AROUND2000 RED BIRD」(全国11公演)を行う。

2001年4月20日 - シンコーミュージックより自身初のギター・スコア本「春畑道哉BEst」が発売。


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