春日王克昌
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春日王 克昌


基礎情報
四股名春日王 克昌
本名金 成澤
???
愛称ソン、キム
生年月日 (1977-07-01) 1977年7月1日(46歳)
出身 大韓民国ソウル特別市
身長183cm
体重150kg
BMI44.79
所属部屋春日山部屋
得意技右四つ、投げ、寄り
成績
現在の番付引退
最高位西前頭3枚目
生涯戦歴464勝452敗11休(74場所)
幕内戦歴199勝272敗9休(32場所)
優勝十両優勝2回
幕下優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵1998年11月場所
入幕2003年1月場所
引退2011年4月
趣味ギター演奏、映画・ドラマ鑑賞
備考
2013年4月15日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

春日王克昌
各種表記
ハングル:???
漢字:金 成澤
発音:キムソンテク
ローマ字:Kim Song-taek
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春日王 克昌(かすがおう かつまさ、1977年7月1日 - )は、韓国ソウル市出身で春日山部屋に所属した元大相撲力士。本名はキム・ソンテク(金成澤、???)。身長183cm、体重150kg。

在日韓国・朝鮮人を除く、大相撲史上初めてとなる韓国出身幕内力士でもあったが、大相撲八百長問題において引退勧告処分を受け、引退した[1][2]
来歴
入門まで

3歳の時に父を亡くしてからはソウル市から仁川市に移り、母子で裕福ではない生活を送り、母は大学の清掃員をしながら金成澤を含む3人の子供を育てた。富平初等学校に入学して1年生からテコンドーを始めるが、同校4年生の時にシルムに転向した。その後、富平中学校、富平高等学校、仁荷大学校経済学部に進んでシルム一筋に精進し、大学3年生の時に大統領旗統一壮士大会無差別級で優勝して、その名を広く知らしめた。なお、サッカー選手金南一とは富平高校時代の仲のいい同級生で、現役時代にもお互いの健闘を誓い合う関係にあった。
史上初の韓国出身幕内力士

その後20代春日山(元幕内・春日富士)に誘われ1998年6月に仁荷大学を休学して来日、当時続いていた外国人新弟子採用自粛の慣例の壁を打ち破って新興間もない春日山部屋に入門し、同年11月に初土俵、その後の出世にともない復学は断念して大学を中退している[3]。言葉や習慣の違いに苦労しながらも、稽古熱心で素直に指導を受ける努力家であったため、相撲文化の吸収も早く、時を経ずしてネイティブ並みの日本語を話すほどになった。

春日王は入幕後のインタビューで「貧困がいやでした。韓国でシルムをやっても年俸は数千万ウォンそこそこ、しかも20代後半には選手生活が終わってしまうじゃないですか。シルム以外に何の取り柄もなかったし。『チョッパリ』と非難されても、相撲でカネを稼ぐことに決めました」と入門の動機を語っていた。最初はちゃんこが嫌いで、匂いだけでも胸がむかつき吐き気がしたというが、体重を増やすために無理にでも食べた。入門当初はちゃんこ作りと掃除に追われて稽古をする時間がなく、幕下に上がるとようやく力士らしい生活を送れるようになったがそこから関取の世話や雑用が待っていた。

順調に出世して2000年1月場所に幕下昇進、幕下優勝を経験して、初土俵以来23場所後の2002年7月場所には十両に昇進し、初の韓国出身関取となった。十両3場所目の2002年11月場所では十両優勝し、翌2003年1月場所の新入幕早々に10勝5敗の好成績を挙げて、敢闘賞を受賞した。

この活躍を受けて、一旦は「日韓共同未来プロジェクト」の名のもと2003年6月にソウル市松坡区の蚕室(チャムシル)体育館(ソウルオリンピックの会場の一つ)で戦後初の「大相撲韓国公演」を開催することが決定されたが、中国などでのSARS流行にともなう渡航自粛で延期となった(一部ではそれ以外の興行上の理由があったとも噂されている)。


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