春日山城
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932はしご高))が含まれています(詳細)。

logo春日山城
新潟県
春日山城遠景
別名鉢(蜂/八)ヶ峰(峯)城
城郭構造連郭式山城
天守構造なし
築城主上杉氏
築城年南北朝時代
主な改修者上杉房定、長尾為景
主な城主長尾氏、上杉氏、堀氏
廃城年1607年(慶長12年)
遺構土塁、堀切、郭、井戸、虎口、
指定文化財国の史跡
再建造物毘沙門堂
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度8分48.08秒 東経138度12分19.99秒 / 北緯37.1466889度 東経138.2055528度 / 37.1466889; 138.2055528
地図 .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}春日山城
テンプレートを表示
春日山城本丸跡毘沙門堂(復元)山腹より望む直江津古絵図

春日山城(かすがやまじょう)は、越後国頸城郡中屋敷春日山(現在の新潟県上越市春日山町)[1]にあった中世の日本の城山城)。主に長尾氏の居城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。春日山城跡は国の史跡に指定されている。日本五大山城の一つとされることもある[2]
概要

この城は、南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まりとされる。1507年(永正4年)、守護代であった長尾為景上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放した。新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となった。

上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要塞を持つ難攻不落の城とされ、為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。しかし、上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終えた。

別名を鉢ヶ峰城[3]ともいう。「春日山」の名称は、奈良春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来する。春日神社の創建年代は、958年(天徳2年)説、守護上杉氏の築城の際とする説、文明年間(1469年?86年)という説などがありはっきりしない。

また、近くにある林泉寺の惣門は、春日山城の搦手門を移築したものであると言われているが、確証はない。しかし、最低でも慶長まではさかのぼるものであるとも言われ、春日山城で最も古い建築物であると思われる。

多くの絵図には石垣や天守閣などが描かれているが、ほとんど空想であり、石垣も瓦も発掘されていない。それらをふまえ、厳密な時代考証に基づいた初の復元模型が完成、2009年1月から12月まで開催の「越後上越天地人博」で展示された。[4]

地域支配と侵攻に対抗するための拠点として、要害の地に支城・砦・館が配置されていた。山中には春日山城と支城・砦を結ぶ軍事用道路があった。
歴史・沿革
近代以前

越後守護代長尾為景によって既存の要害に大改修が施される。

1536年(天文5年) - 長尾晴景が父・長尾為景から引き継ぐ。

1548年(天文17年)12月 - 長尾景虎(後の上杉謙信)が兄・長尾晴景から家督を相続し、入城。

1579年(天正7年) - 御館の乱を制した、上杉謙信の養子上杉景勝が入城。

1598年(慶長3年) - 上杉景勝が会津転封となり堀秀治が入城。

1606年(慶長11年) - 堀秀治の急死に伴い、子の堀忠俊が引き継ぐ。

1607年(慶長12年) - 福島城完成に伴い、行政組織を移し、春日山城は廃城となる。

近現代

1901年(明治34年) - 春日山神社が創建される。

1931年(昭和6年) - 毘沙門堂が復元される。

1935年(昭和10年)8月27日 - 主城周辺が国の史跡に指定される。

1969年(昭和44年)6月 - 滝川毘堂作の上杉謙信公銅像を建立。

1974年(昭和49年)1月13日 - 本来の春日山城は、主城周辺に広範囲に配置された土塁などの遺構を含めて一体的に把握されるべきものとして、これらのうち、春日山から南東方向に突出する尾根先端部に構築された通称「東城砦(別名、春日砦)」部分が国の史跡に追加指定される。

2006年(平成18年)4月6日 - 日本100名城(32番)に選定された。

支城・砦・館

春日山の周辺、約5?6
km程度の範囲内にある砦として、春日山から西へ伸びる稜線上に砦が列をなして並び、近いほうから番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長浜砦・城が峰砦の順で並んでいる。北には沖見砦があり、南の複雑な地形のなかにトヤ峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・中の俣砦の砦群、東の平地には長池山砦と東城砦および御館城があった。これら春日山を支える砦は、2km程度あるいは至近距離に番屋口砦・番屋砦・長沢砦・長池砦・東城砦があり、3km程では沖見砦・長浜砦・トヤ峰砦が配置され、4km程度で城が峰砦・宇津尾砦・滝寺砦・御館城があり、中の俣砦は5kmほどである。春日山から西に伸びる稜線上の砦はいずれも砦単体での運用を想定した構造ではなく、春日山と直接の連絡路があり、また戦闘を維持するには春日山からの支援を受けなければならない。また、これらの砦は春日山と反対方向からの攻撃に備えており、これらからこの砦群も広義の春日山城を構成しているともいえる。春日山城本体も大きな城であるが、これらの砦群を包括した広義の春日山城は広大な城であったともされる[5]

地域(分国)支配、また北陸・関東・信濃・揚北(下越)にわたる四方面戦線のため、長尾氏(上杉氏)は織田信長の方面軍にも似た諸国衆(越中衆・信濃衆など)の編成[6]が見られる。河田氏などは支城のみでなく国単位で寄騎を統率し、また出自とは異なる分国に配置される場合もある。

上越市

東城砦
(別名、春日砦)

番屋砦

長沢砦

長浜砦

滝寺砦

トヤ峰砦

宇津尾砦

城ヶ峰砦

中ノ俣砦

長池山砦

御館 - 「上杉館」「至徳寺城」とも。謙信を頼った関東管領・上杉憲政の居城。謙信が弘治年間に造営したとされる。

北方城

黒田城

沖見砦

田麦城

直峰城 - 信濃衆の樋口氏が入る。のち春日山城に入府した堀秀治の重臣・堀光親が城主となり、越後福嶋城の時代も使用される。

法定寺城

池舟城

小川城

岩手城

小野城

米山寺城

米山寺館

顕法寺城

町田城

六角峰城

雁金城 - 花ヶ崎街道(脇街道)を監視する要所にあり、春日山城に狼煙を使って連絡をする最後の拠点であったとされる。「花ヶ崎城」とも。陸奥衆(信夫衆)の佐藤氏や上田衆の吉増氏などが城将。

茶臼山城

大間城

上深沢城

京ヶ岳城

箕冠城 - 信濃衆の大熊氏が入る。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef