春山 泰雄
名前
カタカナハルヤマ ヤスオ
ラテン文字HARUYAMA Yasuo[1]
基本情報
生年月日1906年4月4日[2]
大日本帝国、東京都
没年月日 (1987-06-17) 1987年6月17日(81歳没)[3]
日本、東京都豊島区[3]
選手情報
ポジションFW
ユース
水戸高校
19xx-1931東京帝国大学
クラブ1
年クラブ出場(得点)
東京帝大LB
代表歴
1927-1930 日本4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 1987年6月17日)は、東京都出身の会社役員、新聞記者、サッカー選手である。 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、旧制水戸高校に入学。在学中の1927年に開催された第8回極東選手権大会のサッカー日本代表にセンターフォワードとして選出され、8月27日の中華民国代表戦で初出場した[1][4]。なお、同大会の日本代表は早大WMWを母体に構成されていたが、水戸高校の春山と近藤台五郎は「関係者」として国内予選時より早大WMWに参加していた[5]。 水戸高校を卒業後は東京帝国大学に入学し、ア式蹴球部に入部。竹腰重丸、竹内悌三、手島志郎らと東大黄金時代を築いた。また、在学中の1930年5月に開催された第9回極東選手権大会の日本代表に左ウイングとして選出されて、全2試合に出場した[1][6]。1931年に東京帝大経営学科を卒業した[7]。 1946年に日刊スポーツ新聞社に入社。編集局次長、編集局長代理を経て、1952年11月に同社の取締役(兼編集局長)に就任した。その後も販売担当、業務局長などを歴任。日刊スポーツ出版社の代表取締役も務めた[7][3]。 1987年6月17日、東京都豊島区で消化管出血により死去した[3][7]。 日本代表国際Aマッチその他期間通算
人物
略歴・所属クラブ
1919年 - 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業
1924年 - 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
附属中の同級生には、西園寺公一(元参議院議員)、朱牟田夏雄(東京大学名誉教授)などがいた。
水戸高校
1931年 - 東京帝国大学卒業
代表歴
出場大会
1927年 第8回極東選手権
1930年 第9回極東選手権
試合数
国際Aマッチ:4試合0得点 1927-1930
年出場得点出場得点出場得点
1927200020