春夏秋冬_(テレビ番組)
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春夏秋冬
ジャンル
トーク番組
出演者徳川夢声
奥野信太郎
サトウハチロー
国・地域 日本
言語日本語
製作
プロデューサー片柳忠男
製作日本テレビ放送網

放送
放送局日本テレビ系列
映像形式4:3
音声形式モノラル
放送国・地域 日本
放送期間1956年6月23日 - 1982年3月28日[1]
放送時間水曜 22:30 - 23:00
水曜 23:00 - 23:30
水曜 23:15 - 23:45
水曜 22:30 - 23:00
日曜 9:00 - 9:30
日曜 12:15 - 12:45
日曜 8:30 - 8:55[2]
放送分30→25分
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『春夏秋冬』(しゅんかしゅうとう)は、かつて存在した日本のトーク番組である。1956年(昭和31年)の放送開始時の番組名は『雨・風・曇』(あめ・かぜ・くもり)であった[3]
略歴・概要

1956年(昭和31年)6月、日本テレビ放送網が、社会時評番組『雨・風・曇』として放送を開始した[3]オリオン社の社長で、日本テレビの番組に関わり、本番組のプロデューサーを務める作家・画家の片柳忠男[4]が、同年、『雨・風・曇 - 宣伝という窓から見れば』を新聞研究社から上梓した[5]。初期のレギュラー出演者は、作家・俳優の徳川夢声、元朝日新聞記者でジャーナリスト渡辺紳一郎慶應義塾大学教授の奥野信太郎、詩人のサトウハチロー漫画家近藤日出造であった。20局ネットの人気番組となる。

1959年(昭和34年)6月25日、プロ野球の「天覧試合」が行われ、NHKとともに同局が放送権を獲得、テレビ中継を行い、中継終了と同時に本番組を開始した[6]。番組内では、天覧試合について語られた。同年11月に『春夏秋冬』と改題して放送はつづいた。当初は水曜夜の番組であったが、途中で日曜日の朝の番組に変更になった。また1978年(昭和53年)以降、『24時間テレビ「愛は地球を救う」』が放送される日は番組を休止していた。

1963年(昭和38年)、井上和男監督の映画『「可否道」より なんじゃもんじゃ』に、「春夏秋冬の名士たち」の役で、本番組のレギュラー出演者の、徳川夢声、渡辺紳一郎、奥野信太郎、サトウハチロー、近藤日出造がそろって出演している[7]。徳川夢声は、放送開始当初からのレギュラー出演者で、1971年(昭和46年)4月に健康上の理由から引退。徳川の最後のレギュラー番組となった。奥野は1968年(昭和43年)、サトウは1973年(昭和48年)、渡辺は1978年(昭和53年)、近藤は1979年(昭和54年)に死去している。

長寿番組であったが、1982年3月28日に放送を終了した。片柳忠男は1985年(昭和60年)に死去した。
放送データ

放送時間:毎週
水曜22:30 - 23:00→毎週水曜23:00 - 23:30→毎週水曜23:15 - 23:45→毎週水曜22:30 - 23:00 → 毎週日曜9:00 - 9:30→毎週日曜12:15 - 12:45(30分)→毎週日曜8:30 - 8:55(25分。残り5分は『レースガイド』)

放送期間:1956年6月23日 - 1982年3月28日

放送国: 日本

制作局:日本テレビ放送網


プロデューサー:片柳忠男

提供:山口自転車一社)→中外製薬(一社)→古河グループ(単独)→清水建設(一社)→複数社。なお『雨・風・曇』時代は、一貫して中外製薬一社提供。

主な出演者

徳川夢声

山本嘉次郎

サトウハチロー

近藤日出造

堀内敬三

渡辺紳一郎

辰野隆

奥野信太郎

藤浦洸

原田三夫

荒垣秀雄

扇谷正造

草柳大蔵

加藤芳郎

桂米朝


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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