春の雪_(小説)
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豊饒の海
訳題The Sea of Fertility
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌『新潮』連載
初出情報
初出「春の雪」-1965年9月号-1967年1月号
「奔馬」-1967年2月号-1968年8月号
「暁の寺」-1968年9月号-1970年4月号
「天人五衰」-1970年7月号-1971年1月号
刊本情報
刊行『春の雪 豊饒の海・第一巻』
『奔馬 豊饒の海・第二巻』
『暁の寺 豊饒の海・第三巻』
『天人五衰 豊饒の海・第四巻』
出版元新潮社
出版年月日1969年1月5日(『春の雪』)
1969年2月25日(『奔馬』)
1970年7月10日(『暁の寺』)
1971年2月25日(『天人五衰』)
装幀村上芳正(全巻共通)
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『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした転生の物語で[1]、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である[1][2]。予定より早い最終回で了となる最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地割腹自殺した(三島事件)。

第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教唯識思想、神道一霊四魂説、の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある[3]

「豊饒の海」とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」(ラテン語名)の和訳で[注釈 1]、作中の「月修寺」のモデルとなった寺院は奈良市の「圓照寺」である。なお、最終巻の末尾と、三島の初刊行小説『花ざかりの森』の終り方との類似性がよく指摘されている[4][5]

※以下、三島自身の言葉の引用部は〈 〉にしています(他の作家や評者の論文からの引用部との区別のため)。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
発表経過

文芸雑誌新潮』に、先ず1965年(昭和40年)9月号から1967年(昭和42年)1月号にかけて『春の雪』が連載され、同年2月号から1968年(昭和43年)8月号にかけては『奔馬』、同年9月号から1970年(昭和45年)4月号にかけては『暁の寺』、同年7月号から1971年(昭和46年)1月号にかけては『天人五衰』が連載された[6]

単行本は、1969年(昭和44年)1月5日に『春の雪(豊饒の海・第一巻)』、同年2月25日に『奔馬(豊饒の海・第二巻)』、1970年(昭和45年)7月10日に『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』、1971年(昭和46年)2月25日に『天人五衰(豊饒の海・第四巻)』が新潮社より刊行された[7]。文庫版は各巻新潮文庫より刊行されている[7]

翻訳版は、『春の雪』『奔馬』は英米のMichael Gallagher訳(英題:Spring Snow、Runaway Horses)、イタリア(伊題:Neve di primavera、Cavalli in fuga)、『暁の寺』は英米のCecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders訳(英題:Temple of Dawn)、イタリア(伊題:Il tempio dell'alba)、『天人五衰』は英米のエドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Decay of the Angel)、イタリア(伊題:La decomposizione dell'angelo)をはじめ、世界各国で行われている[8]
作品成立・背景
執筆動機・構成

三島は1960年(昭和35年)頃から大長編を書きはじめなければならないと考え、19世紀以来の西欧の長編小説とは違う〈全く別の存在理由のある大長編〉、〈世界解釈の小説〉を目指して、『豊饒の海』を1965年(昭和40年)6月から書き始める[1]。壮途半ばで作家人生を病で終えた高見順の死も執筆に拍車をかけたとし[9]、その執筆動機を以下のように語っている[1]。私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。 ? 三島由紀夫「『豊饒の海』について」[1]

そして、学習院時代の旧師の松尾聰の校注に成る『浜松中納言物語』に依拠した「転生がすべての筋を運ぶ小説」を四巻の構成にし[注釈 2]、〈王朝風の恋愛小説〉の第一巻は〈たわやめぶり(手弱女ぶり)〉あるいは〈和魂〉を、「激越な行動小説」の第二巻は〈ますらをぶり(益荒男ぶり)〉あるいは〈荒魂〉を、〈エキゾチックな色彩的な心理小説〉の第三巻は〈奇魂〉を、第四巻は〈それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説〉で〈幸魂〉へみちびかれてゆくものと三島は説明している[1]

ちなみに、1950年(昭和25年)の『禁色』の創作ノートにもすでに、〈螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反歴史性、転生譚〉といった言葉が並び、『豊饒の海』を予告するような記載があり[1]、初期作品の『花ざかりの森』『中世』『煙草』などにも「前世」への言及が見られ、もともと三島には早くから転生への関心を抱いていた傾向が見られる[2]

〈豊饒の海〉の題は「月の海」の名のラテン語の訳語であるが、三島は、作品完成前に有人ロケット月面着陸が行われることに触れて、〈人類がの荒涼たる実状に目ざめる時は、この小説の荒涼たる結末に接する時よりも早いにちがひない〉と述べ[12]、題名は、〈月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強ひていへば、宇宙的虚無感と豊かなのイメーヂとをダブらせたやうなもの〉で、語の〈時は海なり〉の意味もあると説明している[13]

三島は、論理体系もない芸術宿命や限界に、大きな哲学の論理構造を持つ大乗仏教唯識の思想のような〈人間を一歩一歩狂気に引きずりこむような、そういう哲学体系〉を小説の中に反映させた長編を書き出したと述べ[14]、第二巻の連載中には、汎神論のような宗教の世界像のようなものを、〈文学であれができたらなあ〉という願望を示しながら以下のように語っている[15]


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