映画芸術科学アカデミー
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ビバリーヒルズのアカデミー本部ビル

映画芸術科学アカデミー(えいがげいじゅつかがくアカデミー、Academy of Motion Picture Arts and Sciences、AMPAS)は、映画産業における芸術と科学の発展を図るため、アメリカ合衆国などの映画業界人たちによって結成されている団体である。

ロサンゼルスビバリーヒルズに本拠を置き、アカデミー賞の選考・授与、映画文化・映画教育・映画技術の研究に対する助成などを行っている。

アカデミーの会員は、映画業界のプロフェッショナル10,500人以上からなっている(2024年現在)[1]。そのメンバーの大多数はアメリカに拠点を置いているが、会員にふさわしい業績をあげた映画人なら国籍・居住地に関係なく会員となれる。2004年の時点では、36か国からの劇場用映画に関わる映画人が会員となっている。

アカデミーは毎年のアカデミー賞(オスカーの俗称がある)の開催で世界に知られている。その他、映画を制作する大学生や大学院生に対して「学生アカデミー賞」(Student Academy Awards、1973年開始、1975年より毎年)を授与し、毎年5人までにニコル映画脚本フェローシップ(Nicholl Fellowships in Screenwriting)を授賞している。またビバリーヒルズでマーガレット・ヘリック図書館(Margaret Herrick Library)を、ハリウッドでピックフォード映画研究センター(Pickford Center for Motion Picture Study[2])を運営している。
歴史ビバリーヒルズの La Cienega Boulevard にあるフェアバンクス映画研究センターハリウッドのピックフォード映画研究センター

1927年5月11日、映画芸術科学アカデミーは非営利組織として36人の会員により創立された。映画監督脚本家俳優、さらに撮影監督など映画スタッフのほか、映画プロデューサー映画会社社長を兼任するハリウッドのボスたち(ワーナー・ブラザースの創業者ワーナー兄弟やメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの創業者ルイス・B・メイヤーら)も創立会員となっており、特にルイス・B・メイヤーがアカデミー創立に果たした役割は大きかった。

最初の会長には俳優ダグラス・フェアバンクスが選出された。アカデミーの創立の目的は「映画における芸術と科学の発展を図るため」であったが、俳優や監督らの間にまで労働組合が組織されて映画会社と対立する前に、有力な映画業界人をアカデミーに集め、労働問題などの協議を映画産業のボスたち主導で行う意図もあった。アカデミー賞は副次的な産物であり、1929年に始まった当初は夕食会の席で簡単に行われたものだった。しかし当初プロデューサーや会社の意向や影響が大きかったアカデミー賞選考は、会社側とスタッフ・俳優ら労働側の対立が強まるにつれ労働側の批判やボイコットを受けた。第二次世界大戦後、メジャー映画会社は製作・配給の独占を排除され、スタジオ・システムや経営が揺らいだため、各社はアカデミーへの支援を行わなくなり、これを機にアカデミーはアカデミー賞セレモニーの放送権をテレビ局に売ることで自立するようになった。

アカデミーは1946年までハリウッドのメルローズ・アベニューのビルに本拠を置いていた。1975年に本拠はビバリーヒルズのウィルシャー通りの現アカデミー本部ビルに移り、分散されていたオフィスが統合された。このビルには映画に関する展覧会を開催する2つのギャラリーのほか、毎年のアカデミー賞ノミネート発表式の会場となっているサミュエル・ゴールドウィン・シアターと呼ばれる大きな映画館もある。

このビルは蔵書や所蔵フィルムが急速に増加するなど組織の急成長によって間もなく手狭になった。1988年にビバリーヒルズ市は水道会社のビルだった歴史的建築を55年契約でアカデミーにリースし、この建物は「映画研究センター」(Center for Motion Picture Study)と改名され図書館などが入居した。その後、ハリウッドに新しい拠点もオープンし、フィルムアーカイブや奨学金事業部などが入居している。両建物はアカデミー創立会員のうちダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの夫妻にちなみ命名された。ビバリーヒルズの建物は「フェアバンクス映画研究センター」と改名され、ハリウッドの建物は「ピックフォード映画研究センター」と名付けられている。

アカデミーは、ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)に隣接した旧メイ・カンパニー百貨店ビルを改修し、アカデミー映画博物館(英語版)とする事業を進めていた。この建物は1939年に完成したストリームライン・モダン様式の歴史的建築物で、建築家レンゾ・ピアノによって大幅な改造と拡張が行われた。2017年を目標としていた開館は遅れ、2021年9月30日に開館した。
36名の創設会員

俳優

リチャード・バーセルメス

ジャック・ホルト

コンラッド・ナイジェル

ミルトン・シルス

ダグラス・フェアバンクス

ハロルド・ロイド

メアリー・ピックフォード

監督

セシル・B・デミル

フランク・ロイド

ヘンリー・キング

フレッド・ニブロ

ジョン・M・スタール

ラオール・ウォルシュ

弁護士

Edwin Loeb

George W. Cohen

プロデューサー

フレッド・ビーソン (Fred Beetson)

チャールズ・クリスティー Charles H. Christie)

シド・グローマン (w:Sid Grauman)

ミルトン・E・ホフマン (Milton E. Hoffman)

ジェシー・L・ラスキー (w:Jesse L. Lasky)

M・C・レヴィー (w:M. C. Levee)

ルイス・B・メイヤー

ジョセフ・M・シェンク

アーヴィング・タルバーグ

ハリー・ワーナー

ジャック・ワーナー

ハリー・ラッフ (w:Harry Rapf)

技術者

J・アーサー・ボール

セドリック・ギボンズ

ロイ・J・ポメロイ

脚本家

ジョー・ファーナム (w:Joseph Farnham)

ベンジャミン・グレイザー

ジャニー・マクファーソン (w:Jeanie MacPherson)

ベス・メレディス

ケイリー・ウィルソン (Carey Wilson)

フランク・E・ウッズ (w:Frank E. Woods)



歴代会長

会長は毎年選挙によって選出され、4期以上は選出されないことになっている。
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ダグラス・フェアバンクス 1927-1929

ウィリアム・C・デミル 1929-1931

M・C・レヴィー(英語版) 1931-1932

コンラッド・ナイジェル(英語版) 1932-1933

セオドア・リード(英語版) 1933-1934

フランク・ロイド 1934-1935

フランク・キャプラ 1935-1939

ウォルター・ウェンジャー 1939-1941, 1941-1945

ベティ・デイヴィス 1941 (2か月で辞任)

ジーン・ハーショルト(英語版) 1945-1949

チャールズ・ブラケット(英語版) 1949-1955

ジョージ・シートン 1955-1958

ジョージ・スティーヴンス 1958-1959

B. B. Kahane 1959-1960 (死去)

ヴァレンタイン・デイヴィス(英語版) 1960-1961 (死去)

ウェンデル・コーリー(英語版) 1961-1963

アーサー・フリード 1963-1967

グレゴリー・ペック 1967-1970

ダニエル・タラダッシュ(英語版) 1970-1973


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