星飛雄馬
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この項目では、「巨人の星」の登場人物について説明しています。お笑いタレントの星飛雄馬については「モンキーチャック」をご覧ください。

星 飛雄馬(ほし ひゅうま)は、梶原一騎原作・川崎のぼる作画の野球漫画・アニメ『巨人の星』の主人公である架空の人物。左投げ左打ち(『新・巨人の星』では右投げ左打ち)、投手。アニメ版での声優は古谷徹。子供時代の回想シーンでは堀絢子、ごく一部を野沢雅子が担当している[1]

新約「巨人の星」花形』に登場する星飛雄馬については、そちらの項の記載を参照の事。

来歴
幼少期

生年月日は公表されていない。

不安定な収入しか得られない職に就き極貧生活を送っている、元巨人軍選手の父・一徹と母親との間に第二子、長男として生まれる。他に肉親は、姉・明子がいる。幼くして母を亡くす。以後父に“大リーグボール養成ギプス”と呼ばれる、筋力増強を目的とした身体装着型器具を常に使用しての生活を強いられ、生来右利きでありながら鉛筆を左手に持たされるなど[2]、狂気じみた野球の英才教育を受け、野球と父を恨みながら育つ。そのアニメーション中で、チャブ台をひっくり返すシーンはスパルタ教育(スパルタン)でもある。

この時期は父と野球の呪縛から解き放たれることをひたすらに願う日々を送っていたが、読売ジャイアンツ入団前の王貞治長嶋茂雄、そして生涯のライバル・花形満と出会い、野球の素晴らしさを知り、読売ジャイアンツ入団を目指す決意をする。彼の球質を語る上で筆頭に挙げられる事の多い“針の穴をも通すコントロール”は、すでにこの頃から見る事が出来る。

幼少及び高校時代に比べて中学時代の飛雄馬の生き様は明らかではない。番外編で、体育の時間に野球の紅白戦で活躍し、鉄棒の大車輪も披露した様子が描かれているが、中学野球部に入っていたかどうか不明。
青雲高校時代

一徹は自分の見込んだ伴宙太に飛雄馬とのバッテリーを組ませたかったため、飛雄馬に富裕層の子息が大勢通う“お坊ちゃま高校”・青雲高校にあえて入学を指示[3]。伴とは確執を経て徐々に友情を深め、以前は弱かった青雲高校野球部を甲子園へと導く(なお、野球部入部最初の背番号は「15」)。1967年全国高等学校野球選手権大会では(まるで民謡のような)応援歌をバックに力投。最終的に青雲高校は左門豊作の在籍する熊本農林高校に打ち勝ち決勝進出、花形の率いる紅洋高校と対決することに。しかし、準決勝で左門の折れたバットによって爪を怪我、決勝では“血染めのボール”を力投するが、最終的には投球する事もままならないようになり敗退、準優勝となった。

飛雄馬は先輩投手・小宮の名誉のため負傷を隠そうとし、花形にも「公開しない」ように約束させる。しかし、一旦、血染めの打球は観客席に入っており、拾った客も「それにしてもこのボール」と不思議そうに見てから、花形にボールをノーバウンドで送球した。

大会終了後、決勝戦で負けた相手高が伴の父親・大造の商売敵の御曹司(花形)が率いる高校であったこと、またその宿敵に敗れておきながら敵の施しを受けるかのような涙ながらの抱擁などから、大造の子供じみた怒りに触れて野球部は解散を命じられる(大造は青雲高校のPTA会長もつとめる高校の有力なスポンサーでもあった)。星の友人・牧場春彦は義憤に駆られ大造を闇討ちするが、ちょうど現場に居合わせた飛雄馬が、犯人として疑われることとなってしまう。伴は残念会として設けた闇鍋の席でそれを帳消しにしようとしたが、あくまで自分が犯人ではないと主張する飛雄馬に対して、伴は絶交宣言。飛雄馬は牧場の犯行を目撃していたが、牧場を庇うため、そして野球部を守るため、自分を「最重要容疑者」とさえ称した校長や伴大造の前で退学届を提出、「もし自分が犯人だとしても自分の退学処分でけりはつくはず」と言い残し青雲高校を去った。退学を知った牧場は真犯人は自分だと伴に告白し、伴も、親友を信じられず疑った上、絶交までした自分が情けないと後悔する。
巨人軍へ

“飛雄馬退学”の話はいつしかプロ野球界を席巻し、花形が飛雄馬を推薦する私信と血染めのボールを川上監督に送ったことで、飛雄馬の負傷も世間に知られる事となった。飛雄馬は「花形が約束を破った」と受け取ったが、実際は川上監督の反応を記者が偶然聞いただけだった。巨人を除くほとんど全球団のスカウトが飛雄馬の家(長屋)に集結した。中には「契約金一千万円(今の価値で約一億円)」の話も出た。しかし、巨人は「決勝戦で怪我をするということはどこかに欠陥があるということだ」という川上の鶴の一声もあり、訪問しなかった。なお、血染めのボールが送られる前にも、学園を除名処分にされた飛雄馬を憐れんで広島からスカウトが来ていた[4]

高校を退学し、伴とも絶交させられ全てを失った飛雄馬の心は、寂しさのあまり「自分を認めてくれる球団がある」と一時他球団へも動いた。しかし一徹は飛雄馬の気持ちを叱責し「入団すべき球団は巨人あるのみ」と他の球団のスカウトを完全拒否。川上監督も「親子二代に渡って巨人から締め出すことになる」とペナントレースの真っ只中に入団テストを執行する。狙いは星飛雄馬がテストを受けに来る事。飛雄馬は父のスパイクを履き、多摩川グラウンドに向かう。

闇討ち事件の真相を知った伴も、飛雄馬に謝り、仲直りをして供に巨人の入団テストを受ける。100m走でテスト通過後、速水譲次が現れ、圧倒的なタイム差をつけられる。しかし投球テストで逆に差を付ける。最後の速水と飛雄馬の勝負で、速水の妨害を父の編み出した魔送球で討ち取り正式合格(速水も伴も補欠合格)。

1967年秋に巨人にテスト生として入団を果たし[5][6]その後に努力と将来性を認められて遂に正選手となる。この時、川上哲治永久欠番である“背番号16”を引き継いだ。なお、飛雄馬が入団テストに合格した直後、川上監督は星家に直行し父一徹に詫びを兼ねて、飛雄馬を北条時頼鉢の木」に例えた話をする。早く戻りすぎた飛雄馬は裏方でその話を聞き、自分に偉大な理解者がいたと感動する。また“背番号16”を引き継いだ話もしているが、これは後に飛雄馬が大リーグボール1号を打たれた後に、姉の明子から聞かされる。
速球投手期?大リーグボール1号完成へ

1967年は2軍で過ごす(シーズン終了間際にイースタンリーグ・対東映戦にて一安打完封でプロ初勝利を記録。しかし、この試合でのスコアが、左門に飛雄馬の欠点を確信させることになる)が、1968年には台湾キャンプに選抜、紅白戦でも好投し、そのまま1軍にとどまる。後楽園球場の対阪神戦でオープン戦に登板し、宿敵・花形とプロの試合で初対決。軽い球質の欠点に気づいていた花形からあわや本塁打という一撃を食らうが、ライト・国松彰の身体を張った超ファインプレーで救われる。以後しばらくの間は幼い頃から培った絶妙のボールコントロールと速球を生かし相応の成績を重ね、開幕試合の対大洋戦ではベンチ入りを果たし、宿願の巨人投手として公式戦初登板を果たす。

しかし、プロ野球選手としては小柄な体格の彼は“球質が軽い”という致命的な欠点[7]を徐々にライバル達に見抜かれていた。1968年の巨人x大洋開幕戦、開幕投手・金田正一が打ち込まれ序盤に大量リードを許すも、徐々に巨人が反撃し追い上げムードの終盤、左の代打・アグリー向けのワンポイントリリーフで登板した飛雄馬へ、大洋ベンチは刺客として“代打の代打”・左門豊作を送る。未だ自分の投球能力を信じたい飛雄馬は巨人ベンチの敬遠指示を無視して真っ向勝負。結果、すでに飛雄馬の弱点を完全に見切っていた左門は星へ痛恨のだめ押し3ランを見舞う。そのまま巨人を敗戦に追い込んだ形になった飛雄馬は自責の念と自分がプロで通用しなくなった絶望に囚われ、球場からユニフォームを着たまま失踪。一時は完全に虚脱状態になっていたが、隠遁先の鎌倉での参禅、僧侶との講話からヒントを得、奇妙奇天烈な特訓を経て遂に“魔球大リーグボール1号を編み出し、奇跡の復活を遂げた。
大リーグボール1号敗れる

飛雄馬は1号を駆使してライバルの花形、左門などを打ち取りながら、結局その年9連勝を果たす。巨人時代における彼の第一次絶頂期であったが、ライバル達は再び牙を剥き始める。まず、甲子園での阪神[8]において命がけの特訓を行った花形により1号は打たれ、同年の日本シリーズでは同じ特訓を行った阪急スペンサーと対決し、50円玉を使った特訓で強化した1号で打ち取るものの、すでに1号は“無敵の魔球”ではなくなっていた。

同年オフ、日米野球ではオズマとの対決で様々な煩悩に悩まされ、同時に秋季宮崎キャンプでは悲しい恋を経験、再び虚無感に陥り、野球に集中できず、翌1969年は二軍でのスタートとなる。その後、花形の鉄拳を交えた忠告で何とか立ち直り、ライバル以外には打たれずに済んでいた1号で復活する。しかし、突如球界に復帰した父・星一徹コーチの指導を受けたオズマに完全に打ちこまれ、ここに1号は完全に命脈を絶たれる形となった。
大リーグボール2号

その後一時的に自暴自棄な日々を送るが、自宅マンションの屋上でまりを突く少女の姿にヒントを得て大リーグボール2号を編み出し、第2次絶頂期を迎える。その翌年(1970年)、長年公私に渡って“女房役”を務め上げていた盟友・伴がトレードで中日に移籍する。伴は一徹による大特訓の後、飛雄馬への刺客と変貌を遂げ、飛雄馬と開幕戦で対決する。2号はすんでのところで打たれるところだったが、一徹コーチのサインミスでピッチャーフライに終わった。しかし、結局2号は阪神戦で花形に打たれる。ただし正確には「完全大リーグボール2号」が打たれたわけではない。その打席で、花形の施策で一本足打法の格好をした花形に対して、星が勝手に「何かの奇策では?」と思い込んで、足が上がらず、消えない大リーグボール2号を投げた為、容易に打たれた。その後、「ヘルメットを落とす」「バットスイング」「水をまく」と言った方法で消えない工夫を打者が凝らし打ち込まれている。が、完全に消えている大リーグボール2号を打った打者はその後もいない。
大リーグボール3号


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