星表
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星表(せいひょう、star catalogue )は恒星目録ともいい、恒星の位置や等級スペクトル型視差といった値や特性を記載した天体カタログである。現代の天文学では、恒星はいずれかの星表の番号で表される。長年にわたって様々な目的のために多くの星表が編纂されてきたが、以下では代表的なものについて取り上げる。現在使われている星表のほとんどは電子フォーマットで入手可能で、アメリカ航空宇宙局 (NASA) の Astronomical Data Center などからダウンロードできる(外部リンク参照)。
歴史上の星表
ヒッパルコスの星表(
紀元前2世紀
詳細は「ヒッパルコス」を参照著書が現存しないため正確なところは不明だが、46星座を設定したとされる。また、紀元前300年頃に書かれたティモカリスやアリステュロスらの星表と自分の実際の観測結果を比較して春分点の移動(歳差)を発見したとされる。
プトレマイオスの星表(2世紀、『アルマゲスト』第7巻と第8巻)
詳細は「クラウディオス・プトレマイオス」を参照アレクサンドリアで観測できる1,020余りの星[1]を挙げている。『アルマゲスト』はヨーロッパやアラブ世界で千年以上にわたって標準の星表として用いられた。この星表は、ほぼ完全にヒッパルコスの観測に基づいているとされている。
中国の星表(3世紀?)
の巫咸、あるいはとする説もあり)の甘徳の石申が星表を作ったとされており(現在では後漢時代に成立したものであり、三氏の名前は権威付けのために使われたと考えられている)、のちに陳卓がそれらを整理してまとめたものが長く用いられた。
アッ・スーフィーの星表(10世紀
詳細は「アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィー」を参照
ウルグ・ベクの星表(15世紀
詳細は「ウルグ・ベク」を参照
コペルニクスの星表(16世紀
詳細は「ニコラウス・コペルニクス」を参照
ティコ・ブラーエの星表(16世紀?)
詳細は「ティコ・ブラーエ」を参照
ハレーの南天星表(1679年
詳細は「エドモンド・ハレー」を参照
ヘヴェリウスの星表(17世紀
詳細は「ヨハネス・ヘヴェリウス」を参照後添字:H.
ベヴィスの星表(1750年
詳細は「ジョン・ベヴィス」を参照
ボーデの星表(18 - 19世紀
詳細は「ヨハン・ボーデ」を参照後添字:B.
ピアッツィの星表(18 - 19世紀、『パレルモ星表』)
詳細は「ジュゼッペ・ピアッツィ」を参照
ハイスの星表(19世紀)
詳細は「エドゥアルト・ハイス」を参照後添字:H'.
グールドの星表(19世紀)
詳細は「ベンジャミン・グールド」を参照後添字:G.
ヘッセン方伯の星表
詳細は「ヴィルヘルム4世 (ヘッセン方伯)」を参照
テオドルスとデ・ハウトマンの星表
詳細は「ルドルフ表」および「フレデリック・デ・ハウトマン」を参照
古典的な星表
バイエルの全天恒星図(
1603年、『ウラノメトリア』)
詳細は「ヨハン・バイエル」および「バイエル符号」を参照添字:基本的に無記入恒星をギリシア文字(あるいはラテン文字)とその恒星が位置する星座名の属格とを組み合わせた名称で表記した。例として α Centauri(α Cen)や γ Cygni(γ Cyg)などとなる。日本語では「ケンタウルス座α星」「はくちょう座γ星」などと表記する。比較的明るい恒星の名前として現代でも用いられている。
大英星表(1720年代 "Stellarum Inerrantium Catalogus Britannicus" )
詳細は「フラムスティード番号」を参照前添字:Fl.、基本的に無記入バイエル名と同様に星座名の属格を用いるが、ギリシア文字の代わりに数字を使う。これは前記フラムスティードの星表の序列を示したもので、フラムスティード自身が番号を振ったわけではない。例として、61 Cygni や 47 Ursae Majoris などとなる。日本語では「はくちょう座61番星」「おおぐま座47番星」となる。
ラカーユの南天星表(1756年 / 1847年
詳細は「ニコラ・ルイ・ド・ラカーユ」を参照前添字:Lacaille, Lac, L南半球の掃天星表。ラカーユの死後、彼が観測した恒星すべてのカタログがフランシス・ベイリーによって編纂されている。
ラランドの星表(1801年 / 1847年)
詳細は「ジェローム・ラランド」を参照前添字:Lalande, Llパリから観測可能な約9等までの恒星が収録されている星表で、何度かの改訂を経ているが、1801年に出版されたラランドの著書 Histoire celeste francaise に付属している最終版では約47,000個の恒星が収録されている。ラランドの死後、フランシス・ベイリーによって更に改訂されており、現代でも太陽近傍の恒星などの一部はこのベイリー版でのラランド番号で呼ばれている。
ストルーヴェの星表(1827年、『ドルパト星表』)
詳細は「フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ」を参照前添字:Struve, Σ
BAC 星表(1845年
詳細は「フランシス・ベイリー」を参照
全天星表

バイエルとフラムスティードが星表に収録した恒星は二人合わせても数千個に過ぎなかった。理屈の上では全天星表は空の全ての恒星を網羅しようとするものだが、実際の空には文字通り、星の数ほど恒星が存在し、望遠鏡を使えば数十億個もの星を分解することができるので、全てを載せるのは不可能である。よって一般の全天星表はある決まった等級よりも明るい恒星全てを収録することを目指して作られる。

主な全天星表とその略称は以下の通りである。
ヘンリー・ドレイパーカタログ (HD / HDE)詳細は「ヘンリー・ドレイパーカタログ」を参照

ヘンリー・ドレイパーカタログ』 (Henry Draper Catalogue) は1918年から1924年にかけて発行された星表である。約9-10等までの全天の恒星をカバーしている。恒星のスペクトル型を大規模にサーベイ観測して収録した初めての試みであった。

この星表はハーバード大学天文台エドワード・ピッカリングの指示の下で、アニー・ジャンプ・キャノンとその同僚によって編纂された。このプロジェクトはヘンリー・ドレイパーの未亡人から資金の寄付を受けたため、その功績を称えて完成した星表に彼の名前が付けられた。

HD 番号はバイエル符号やフラムスティード番号を持たない恒星の名前として今日でも広く使われている。1 - 225300 までの番号は初版に収録された恒星で、1900.0 年分点での赤経順に番号が付けられている。225301 - 359083 までは1949年の増補版に収録されている恒星である。この増補版の恒星の番号には HDE の符号を付けることがあるが、通常は混同の恐れがないので初版と同様に HD xxxxxx と呼ばれる。
スミソニアン天文台星表 (SAO星表)詳細は「スミソニアン天文台星表」を参照

『スミソニアン天文台星表』は全天の写真星表(全天の写真を撮影し、それに写っているすべての恒星のデータを記録した星表)で、約9等までの恒星を網羅している。略号はSAO。Sky Catalogue 2000.0 は自身のカタログ番号を持たないが、『ヘンリー・ドレイパーカタログ』と『SAO星表』のカタログ番号が併記されている。最新版での元期は J2000.0 である。『SAO星表』は『ヘンリー・ドレイパーカタログ』の情報に加えて、各恒星の固有運動を載せている。最新版には『ヘンリー・ドレイパーカタログ』と BD 星表(後述)との相互参照が付いている。
掃天星表 (DM)詳細は「掃天星表」を参照

『ボン掃天星表』 (Bonner Durchmusterung) およびこの後継の一連の掃天星表は、写真時代以前の星表としては最も完全なものである。

『ボン掃天星表』自体は1852年から1859年にかけて、ドイツで発表され、この星表は320,000個の恒星の1855.0年分点での位置を網羅しており、後に南天掃天星表 Sudliche Durchmusterung を増補、さらにコルドバでの観測を元に『コルドバ掃天星表』(Cordoba Durchmusterung (CD)、580,000星)を増補し、最終的には1896年の『ケープ写真掃天星表』 Cape Photographic Durchmusterung (CPD) も含めて編纂され全天を網羅した。

天文学者は恒星を表す際に、スペクトルの情報が載っている HD での番号を好んで使う傾向があるが、掃天星表は HD よりも多くの恒星をカバーしているため、HD に載っていない恒星の場合にはより古い掃天星表での名前を用いることがある。


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