星由里子
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ほし ゆりこ
星 由里子
『映画情報』1965年4月号(国際情報社)より
本名清水 由里子
生年月日 (1943-12-06) 1943年12月6日
没年月日 (2018-05-16) 2018年5月16日(74歳没)
出生地 日本 東京都千代田区鍛冶町[1]
死没地 日本 京都府京都市
身長164 cm
血液型A型
職業女優
ジャンル映画テレビドラマ舞台
活動期間1959年 - 2018年
配偶者

横井邦彦(1969年、離別)

花登筺1975年 - 1983年死別)

会社役員(1990年 -2018年死別)

事務所東宝芸能
公式サイト公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

風と雲と虹と

あぐり[1]

科捜研の女

こちら本池上署
映画
若大将シリーズ[1]

 受賞
日本アカデミー賞


優秀助演女優賞

1997年わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語

会長特別賞

2019年

その他の賞

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星 由里子(ほし ゆりこ[出典 1]、(1943年昭和18年〉12月6日[出典 2]- 2018年平成30年〉[7]5月16日)は、日本女優。最終所属事務所東宝芸能

東京都出身[出典 3]千代田区立今川中学校を経て精華学園女子高等学校卒業[1][注釈 1]
来歴

1958年(昭和33年)、東宝宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集したミス・シンデレラ娘で優勝したことをきっかけに芸能界入り[出典 4]

「八重歯のシンデレラ」をキャッチフレーズとし[6]1959年(昭和34年)に『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー[5]、同名のレコードで歌手デビューも果たす。

1960年(昭和35年)、同時期にデビューした浜美枝田村奈巳と合わせて「東宝スリーペット」として売り出される[1][6]。控えめで大人しい雰囲気の田村、明るく活発で女殺し屋やスパイ役もこなす浜のちょうど中間に位置し、清楚ながらも現代的な気の強さも持ち合わせた役柄を多くこなした。

成瀬巳喜男岡本喜八福田純監督作品に度々起用されていた。

1961年(昭和36年)から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役が当たり役となって人気を博した[出典 5]。当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったほどであり、加山との共演作も多い。「澄子」の名が星の代名詞となるほどであった[1][8]

世相を映したファッションや明るいイメージが広く支持され、癖のない庶民的な美貌で「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さんイメージを代表する1人とされた[6]。数年先んじてこの路線を代表した司葉子に対し、映画衰退期に差し掛かっていたこともあって大作よりはプログラムピクチャーへ多く出演。怪獣映画にも出演したために子どもたちにも親しまれ、二十代半ばを過ぎてからは悪女的な役柄にも意欲を示した。

1964年(昭和39年)の『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』で立て続けに出演しており[7]、根強い特撮ファンの後押しを受けて2000年平成12年)の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』にて36年ぶりに怪獣映画へ出演した[出典 6]

女優として人気絶頂期だった1969年(昭和44年)、財界人で買収王で名を馳せた横井英樹の長男・邦彦と結婚するも、80日余りで離婚。

1975年(昭和50年)に脚本家の花登筺と再婚するも、1983年(昭和58年)に死別。

1990年(平成2年)に会社役員と再々婚[1]。それから亡くなるまで京都に在住していた。

加山とは1968年(昭和43年)の『リオの若大将』を最後に映画・テレビ共に共演作品が途絶え、揃ってマスコミに登場することがなくなったが、1975年に加山主演の『同心部屋御用帳 江戸の旋風』に星がゲスト出演して7年ぶりに共演し、以降は再びCMなどを含めて共演する機会が増え、団塊世代の大きな支持を得ていた。2007年(平成19年)の『永遠の若大将 加山雄三』に出演時には「今でも同世代の人たちから、澄ちゃんと声をかけられる」と青春時代を語っていた[出典無効]。

2002年(平成14年)に第28回菊田一夫演劇賞受賞。

2018年(平成30年)、直前に腎臓癌で死去した夏木陽介の公開葬儀の発起人になっていたが、自身も肺癌を病んでいたために出席は叶わなかった。そして、同年5月16日午後11時5分に、心房細動及び肺癌のために京都市の病院にて、74歳で死去[9]

2018年9月14日に東京の帝国ホテルで偲ぶ会が行われ、加山雄三を始め、宝田明司葉子(双方とも同社で何度も共演)、北島三郎名取裕子里見浩太朗あぐりで共演)、羽川英樹ら220人が参列した。

2019年(平成31年)、第42回日本アカデミー賞会長特別賞を受賞。
エピソード

1962年(昭和37年)3月31日より開かれた「ミラノ国際見本市」の一環である『ミラノ日本映画見本市』(4月15日より同月19日)へ出席するため、4月10日、清水雅東宝社長)を団長に、川喜多長政奥山融奥山和由の父)、他映画会社の代表女優の佐久間良子東映)、吉永小百合日活)らと共に東宝代表としてイタリアミラノへ出発。因みに岸惠子が日本からではなく現地参加で合流している。星は吉永と共に同国のヴェネツィアも訪れている。4月25日に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。

デビュー当時から星との共演が多かった佐原健二は、星はちょっとしたことですぐに笑うことから「ゲラコ」というあだ名であったことを証言している[10]

出演
映画箱根山』(1962年)『日本侠客伝 花と龍』(1969年)

手錠をかけろ(1959年)

すずかけの散歩道(1959年)

ある日わたしは(1959年)

恐るべき火遊び(1959年)

侍とお姐ちゃん(1960年)

山のかなたに(1960年)

若い素肌(1960年)

サラリーガール読本 お転婆社員(1960年)

サラリーマン目白三平 女房の顔の巻(1960年)

接吻泥棒(1960年)

夜の流れ(1960年)

男対男(1960年)

姉さん女房(1960年)

駄々っ子亭主 続姉さん女房(1960年)

大坂城物語 (東宝 1961.01.03)

南の風と波(1961年)

青い夜霧の挑戦状(1961年)

東から来た男(1961年)

妻として女として(1961年)

世界大戦争(1961年) - 田村冴子[2][4]

若大将シリーズ

大学の若大将(1961年)

銀座の若大将(1962年2月)

日本一の若大将(1962年7月)

ハワイの若大将(1963年8月)

海の若大将(1965年8月)

エレキの若大将(1965年12月)

アルプスの若大将(1966年5月)

レッツゴー!若大将(1967年1月)

南太平洋の若大将(1967年7月)

ゴー!ゴー!若大将(1967年12月)

リオの若大将(1968年7月)


紅の海(1961年)

若い狼(1961年)

B・G物語 二十才の設計(1961年)

暗黒街撃滅命令(1961年)

乾杯!サラリーマン諸君(1962年)

女の座(1962年)

明日ある限り(1962年)

旅愁の都(1962年)

娘と私(1962年)

吼えろ脱獄囚(1962年)

箱根山(1962年9月)

地方記者(1962年)

やま猫作戦(1962年)

忠臣蔵 花の巻・雪の巻 (東宝 平五郎妹お艶 1962.11.03)

河のほとりで(1962年)

太平洋の翼(1963年) - 玉井美也子[11]

戦国野郎(1963年)

五十万人の遺産(1963年)

写真記者物語 瞬間に命を賭けろ(1963年)

ホノルル・東京・香港(1963年)

女の歴史(1963年)

暁の合唱(1963年)

士魂魔道 大龍巻 (宝塚映画 1964.01.13)

恐怖の時間 (1964年)


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