星新一
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この項目では、小説家、SF作家の星新一について説明しています。手塚治虫のSF漫画作品の星真一については「W3#登場人物」をご覧ください。

星 新一
(ほし しんいち)
星新一と妻の香代子
S-Fマガジン』1963年12月号(早川書房)より
誕生星親一
(1926-09-06) 1926年9月6日
日本東京府東京市本郷区曙町
(現:東京都文京区本駒込
死没 (1997-12-30) 1997年12月30日(71歳没)
日本東京都港区高輪 東京船員保険病院
(現:JCHO東京高輪病院
墓地青山霊園
職業小説家SF作家
国籍 日本
活動期間1949年 - 1996年
主題ショートショートSF推理小説時代小説、評伝
代表作『未来いそっぷ』(1971年)
ボッコちゃん』(1971年)
主な受賞歴日本推理作家協会賞(1968年)
日本SF大賞特別賞(1998年)
デビュー作セキストラ(1957年)
配偶者星(村尾)香代子
子供星ユリカ(長女)
星マリナ(次女)
親族星一(父)
小金井良精(外祖父)
小金井喜美子(外祖母)
森?外(大伯父)
出澤三太(異母兄)
岡部三郎(弟の義父)
影響を受けたもの

太宰治
川端康成[1]
杉村楚人冠
城昌幸
ヘンリー・スレッサー
レイ・ブラッドベリ
アナトール・フランス
フレドリック・ブラウン
ロバート・シェクリー
ロバート・A・ハインライン[注釈 1]

影響を与えたもの

新井素子
江坂遊など

公式サイトhoshishinichi.com
ウィキポータル 文学
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星 新一(ほし しんいち、本名:星 親一、1926年大正15年〉9月6日 - 1997年平成9年〉12月30日)は、日本小説家SF作家

父は星薬科大学の創立者で星製薬の創業者・星一森?外は母方の大伯父にあたる。本名の親一は父・一のモットー「親切第一」の略である(弟の名前の協一は「協力第一」の略)。父の死後、短期間星製薬の社長を務めたことがあり、日本の有名作家としては辻井喬こと堤清二と並んで稀有な東証一部上場企業(当時)の社長経験者である[注釈 2]

膨大な作品量でありながら、どの作品も質の高さを兼ね備えていたところから「ショートショート掌編小説)の神様」と呼ばれているが、『明治・父・アメリカ』、父親や父の恩人花井卓蔵らを書いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』などのノンフィクション作品もある。

また、小松左京筒井康隆と合わせて「SF御三家」と呼ばれる[3]
略歴
生い立ち

1926年大正15年)、東京府東京市本郷区曙町(現・東京都文京区本駒込)に生まれる。母方の祖父小金井良精の家がある本郷で1945年昭和20年)まで育つ。母方の祖父母は帝国大学医科大学長で解剖学者の小金井良精森?外の妹・小金井喜美子である[注釈 3]。また小説家・鈴木俊平は父の妹の孫(従甥)にあたる[5]

東京女子高等師範学校附属小学校(現・お茶の水女子大学附属小学校)を経て、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進む。附属中学の同期には、槌田満文武蔵野大学名誉教授)、今村昌平映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、児玉進(映画監督)、黒澤洋(元日本興業銀行会長)、星野英一東京大学名誉教授)などがいた。

附属中学在学中の1941年12月に対米開戦となり、これにより英語敵性語となること、敵性語として入試科目から除外されることを見越して英語を全く勉強せず、他の教科に力を入れて要領よく四修(飛び級旧制中学は5年制)で旧制の官立東京高等学校(現・東京大学教養学部及び東京大学教育学部附属中等教育学校に継承)に入学した。このため秀才と呼ばれたが、戦後になってから英語力の不足を補うため今日泊亜蘭の個人授業を受け、さんざん苦しんだという。

高等学校在学中、満16歳の時に1年間の生活を経験した。当時の寮生活について、親友の北杜夫小松左京がしばしば旧制高校の寮生活を懐かしんでいるのとは対照的に「不愉快きわまることばかりで、いまでも眠る前に思い出し、頭がかっとなったりする」[6]、「入ってみてわかったことだが、この学校はとてつもなく軍事色が強く、教師だけならまだしも、生徒たちの多くもそのムードに迎合していたので、うんざりした。着るものはもちろん、食うものもだんだん不足してくるし、学校は全部が狂っているし、まったく、どうしようもない日常だった」[7] と回想している。

こうした感想については、戦後戦中の違い、四修進学の星が若年だったことも大きい。星は高校も2年で終えているため、新制大学卒業者よりも1年早い満21歳で大学を卒業している[注釈 4]
大学・大学院時代

1948年(昭和23年)、東京大学農学部農芸化学科を卒業した[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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