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明色
(新)お笑いゲーム合戦
ジャンルゲームバラエティ番組
言語日本語
製作
制作毎日放送
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
明色お笑いゲーム合戦
司会者大野しげひさ
白石冬美
出演者関根恵子
視聴者3チーム(後に芸能人が加わる)
放送期間1971年4月6日 - 1972年3月28日
放送時間火曜19:00 - 19:30
放送分30分
回数52回
明色 新・お笑いゲーム合戦
司会者大野しげひさ
奈良有子
出演者中野良子
芸能人2チーム(4名×4名)
放送期間1972年4月4日 - 1973年11月27日
放送時間同上
放送分30分
回数87回
特記事項:
桃谷順天館一社提供。
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『明色お笑いゲーム合戦』(めいしょくおわらいゲームがっせん)は、1971年4月6日から1973年11月27日までNET(現・テレビ朝日)系列局で放送された毎日放送(MBS)製作のゲーム番組[1]。1972年4月4日放送分からは『明色新・お笑いゲーム合戦』と題して放送[2]。いずれも桃谷順天館の一社提供。通算139回(52回+87回)。放送時間は毎週火曜 19:00 - 19:30 (JST) 。 毎回3組の視聴者(Aチーム、Bチーム、Cチーム)が「珍ゲーム」に挑戦し、優勝チームにはパンアメリカン航空で行くグアム島旅行獲得となる。後にタレントも加わり、「芸能人とそのファン」チーム対抗戦などの企画も行った。 『新・お笑いゲーム合戦』ではタレント対抗戦で行われ(東軍対西軍。双方とも4名ずつで構成)、優勝チームにはキャプテンに優勝旗が手渡され、さらに優勝チームの中からMVPに輝いた者にはやはりグアム島旅行獲得となる(ただし、後期ではなし)。また途中では、東西計8名がトーナメント方式でゲームを行い、優勝者には、ホンコン・マカオ旅行獲得となる。 『新・お笑いゲーム合戦』に代わってからは企画物は少なくなったものの、不定期に様々な企画が行われた。 この他企画物ではないが、1972年10月3日には『仮面ライダー』の仮面ライダー1号と『変身忍者嵐』の嵐が出演、また1973年3月27日にはジャンボーグAが出演した事もあった。
概要
出演者
司会
大野しげひさ(全回。前番組『歌の笑ルーム』から引き続き。次番組『明色スターゲーム合戦』も担当)
白石冬美(「無印」時代)
奈良有子
ラウンドガール
関根恵子(「無印」時代)
中野良子(『新』時代)
『新』時代の企画
1972年10月24日・1973年2月6日・1973年9月25日の3回にわたって、声優が参加した「声優大会」が行われた。1回目の出演は近石真介・大宮悌二・羽佐間道夫・加藤みどり・城達也・田中信夫、2回目は大平透・納谷悟朗・中村正・羽佐間道夫・野沢雅子、3回目は納谷悟朗・小林修・中村正・大山のぶ代・寺島幹夫。
1973年9月4日には「変身!ゲスト特集」と題して『仮面ライダーV3』の宮内洋、『ジャンボーグA』の立花直樹、『レインボーマン』の水谷邦久や伊藤めぐみが出演。
1973年1月1日にお正月スペシャル拡大版と題された放送回は、18:00 - 18:45に放送された。出演は藤純子、尾上菊之助、杉良太郎、萩原健一、谷隼人、林家ペー、林家パー子、藤圭子、愛川欽也、坂本九、今陽子。
1973年10月30日には「ボクシング大会」と題してファイティング原田と輪島功一が出演。
ネット局
毎日放送(製作局)
NETテレビ(現・テレビ朝日)
仙台放送:日曜 14:30 - 15:00(1971年10月 - 1972年3月)→ 日曜 14:00 - 14:30(1972年4月から)[3]
福島中央テレビ:火曜 19:00 - 19:30[4]
広島ホームテレビ:火曜 19:00 - 19:30[5]
瀬戸内海放送:火曜 19:00 - 19:30[5]
脚注[脚注の使い方]^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.275
^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.262
^ 『河北新報』1971年10月3日、1972年3月26日、4月9日付朝刊、テレビ欄。
^ 『福島民報』1971年4月6日 - 1973年11月27日付朝刊、テレビ欄。
^ a b 『中国新聞』1972年1月11日付朝刊、テレビ欄。