「鳥居」のその他の用法については「鳥居 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
厳島神社の大鳥居(広島県廿日市市)皇大神宮(伊勢神宮)宇治橋の大鳥居(三重県伊勢市)
鳥居を立てる風習は、神社の建物がつくられるようになる前から存在した[1]。古来日本では、屋根のない門という意味で「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」ともいった。中国の「華表 [注釈 1]」の訳を鳥居とするので、過去には漢文で「華表」と記したこともあったという[2]。
鳥居は一般的には神社を象徴するものとして捉えられているが、仏教寺院にも見られることがある(→神仏習合)。一方で鳥居を持たず楼門(随神門)をもつ神社も存在する。戦後の区画整理により境内が縮小されたり移転したため、現在の神社境内とはかけはなれた場所に孤立している鳥居もしばしば見かけられる。御陵に建てられていることもある。
図案(意匠)としては神職であった氏族や家(いえ)が家紋として用いることがあるほか、現在の地図記号では神社を意味する[3]。
俗信においては、鳥居の上に石を投げて乗せると願いが叶うといわれることがある[4]。
数え方は、「1基、2基」と数える。一般にひとつの参道に複数の鳥居がある場合は、一番外側から「一の鳥居、二の鳥居…」と呼ぶ。また、神社の前に形成された町のことを「鳥居前町(とりいまえまち)」と呼ぶことがある。
稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、これが鳥居にも影響しているとされる[5]。 鳥居の起源については、国内起源説や外国起源説など諸説あり[6]、考古学的起源についてはっきりしたことは分かっていない。単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えられる[1]。文献に徴すれば古くは「於不葦御門(うへふかずのみかど)」(皇太神宮儀式帳[7])と称して、奈良時代から神社建築の門の一種としている[8]。いずれにせよ、8世紀頃に現在の形が確立している。 そのほか主要な説として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとする説、日本の冠木門に起源を求める説、インド仏教にみられるトーラナや中国の華表や鳥竿
皇大神宮(伊勢神宮)正宮(三重県伊勢市)
伏見稲荷大社の千本鳥居
家紋「鳥居」
起源
現在の雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(英語:Akha、中国ではハニ族)の「パトォー・ピー(精霊の門)」という村の入口の門では、上に木彫りらしき鳥が置かれることや[17][18][19]、鳥を模した造形物を飾る風習もあることが実地を調査した研究者[10]から報告されていることから、日本の神社でよく見られる「鳥居」の原型は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代(百越人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もある。アカ族の村の門には鳥の木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡や纒向遺跡でも見つかっており[12]、また他にも多くの遺蹟でも同様である[20]。
そのほか、更に遡った歴史観として「鳥居を赤く染めるのは古代ユダヤ教(ヘブライ聖書)の影響を受けている」や「秦氏はイスラエルの失われた10支族の一族である」という日ユ同祖論や、朝鮮半島の紅箭門にもとづく説も見られるが、疑似科学の域を脱するものではない[21]。 [22]語源についても同様に不明である。鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説、止まり木(あるいは神前止まり木)説[23]、「とおりいる(通り入る)」が転じたとする借字説[9]、トーラナを漢字から借音し表記したとする説などがある。Karow&Seckelは[24]鳥居の名称を鳥(Vogel)そのものに求め、死者の家として家屋の中心部だけを残して崇敬の対象としたとの説をとる。 構造そのものに着目した説としては、鳥居桁(架木)説とでも呼ぶもので、そもそも建築用語として高欄の横木の最上部のものを鳥居桁と呼ぶことは奈良時代の資料から明らかになっており、障子の上桁の横木を鴨居と呼ぶのと同じく、「トリイ」とは古来からの建築用語であり、これが神社門に転じたとする説である。奈良時代に「トリイ」の語は建築用語として存在し、平安初めに一般神社門は「トリイ」と俗称され、平安中期にはこの名称が庶民によって用いられたとする[25]。 2本の柱の上に笠木(かさぎ)、2層の水平材とする場合に上層の笠木に接して島木(しまぎ)を渡す。その下に貫(ぬき)を入れて柱を固定したのが一般的な鳥居の構造である。
語源
構造
各部名称鳥居の構造・各部名称