明治神宮競技大会(めいじじんぐうきょうぎたいかい)は、日本で1924年(大正13年)から1943年(昭和18年)にかけ14回にわたって行われた総合競技大会。現在の国民体育大会を創設するにあたって影響を与えた。主催者は大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)。
概説
目的:明治天皇の聖徳を憬仰(けいこう。偉大なものを敬い慕う)し、国民の身体鍛錬、精神の作興に資す
性格:神事的体育行事
主催:第1回?第2回は内務省、第3回?第9回は明治神宮体育会、第10回?第13回は厚生省(第14回は地方予選のみ)
期日:毎年11月明治神宮例祭を含む一定期間
主会場:明治神宮外苑競技場
今日の国民体育大会・秋季競技会(旧・夏季競技会も含む)に当る部は神宮外苑競技場など首都圏各地、また冬季競技会に当る部は寒冷地(北海道・東北・北関東・北信越地方が主)で行われた。また、一年間の大会は4月始まりの会計年度制(夏季(6-7月ごろ)→秋季→冬季(翌年1-2月ごろ)の順)で施行された。
参加者:青年団、一般(学生を含む)
選手選出方法:青年団は道府県単位(1府県10名程度とする)。一般は北海道・東北・関東・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州・台湾・朝鮮・関東州の12地域ごとに予選を行い選出。
大会顧問(第1回):八代六郎(大日本武徳会会長)、阪谷芳郎(明治神宮奉賛会理事長)、藤山雷太(東京商業会議所会頭)、松浦鎮次郎(文部次官)、津野一輔(陸軍次官)、安保清種(海軍次官)、一戸兵衛(明治神宮宮司)、等々力森蔵(陸軍戸山学校長)、宇佐美勝夫(東京府知事)、太田政弘(警視総監)、中村是公(東京市長)、近衛文麿(日本青年館理事長)、嘉納治五郎、岸清一、朝吹常吉、平沼亮三、安部磯雄、今村次吉など
大会の歴史明治神宮競技大会内務省
1926年(大正15年)第3回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1927年(昭和2年)第4回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1929年(昭和4年)第5回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1931年(昭和6年)第6回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1933年(昭和8年)第7回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1935年(昭和10年)第8回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1937年(昭和12年)第9回明治神宮体育大会明治神宮体育会
1939年(昭和14年)第10回明治神宮国民体育大会厚生省
1940年(昭和15年)第11回明治神宮国民体育大会厚生省
1941年(昭和16年)第12回明治神宮国民体育大会厚生省
1942年(昭和17年)第13回明治神宮国民練成大会厚生省
1943年(昭和18年)第14回明治神宮国民練成大会(厚生省)
第11回大会は特に「紀元二千六百年奉祝第十一回明治神宮国民体育大会」と呼ばれた
以後は国民体育大会を参照 種目1回2回3回4回5回6回7回8回9回10回11回12回13回14回
競技種目・演目
マスゲーム(集団体操)×○○○○○○○○○○○○
トラック・フヰールド(陸上競技)○○○○○○○○○○○○○
水泳(水上競技)○○○○○○○○○○○○○
飛び込み(水上競技)×○○○○○○○○○○○○
水球(水上競技)×○×○○○○○○○○○○
ベースボール(野球)○○○○○○○○○○○○○
硬式テニス(庭球)○○○○○○○○○○○○○
軟式テニス(庭球)×○○○○○○○○○○○○
サッカー(ア式蹴球)○○○○○○○○○○○○○
ラグビー(ラ式蹴球)○○○○○○○○○○○○○
ホッケー○○○○○○○○○○○××
バスケットボール(籠球)○○○○○○○○○○○○○
バレーボール(排球)○○○○○○○○○○○○○
ボートレース(漕艇)○○○○○○○○○○○○○
相撲○○○○○○○○○○○○○
柔道○○○○○○○○○○○○○
剣道○○○○○○○○○○○○○
銃剣道×××××××××○○○○
弓道○○○○○○○○○○○○○
乗馬(馬術・騎道)○○○○○○○○○○○○○
国防競技×××××××××○○○×
戦場運動××××××××××××○
射撃×○○○○○○○○○○○○
卓球××○○○○○○○○○××
体操競技××××○○○○○○○○○
自転車×××××××××○○○○
ハンドボール(送球)××××××××××○××
重量挙××××××××××○××
ヨット(海洋競技)××××××○○○○○○○
拳闘×××○○○○○○○×××
飛行機××○××××××××××
グライダー××××××××××○××
スキー×××○○○○○○○○○○
スケート××××××○○○○○○○
行軍訓練×××××××××××○○
滑空訓練×××××××××××○○
剣道・柔道・弓道を統括していた大日本武徳会は、「武道は勝負を争うことを本旨としない」として当初は不参加を表明している。また後には「競技と云ふ字は面白くない。柔道、剣道、弓道等は、競技ではなくて武道である。又明治神宮の神前に之を奉納する意味は、決して技を競うのが目的ではない」と提言し、同大会の名を「明治神宮体育大会」に改称させるまでしている[1]。
報告書において、サッカーは「フットボール(アソシエーション)」、ラグビーは「フットボール(ラグビー)」、バレーボールは「ヴァレーボール」と表記される個所もある。
相撲は素人のみ参加できる。
脚注[脚注の使い方]^ 金誠「朝鮮半島における植民地主義とスポーツに関する研究」(2013年, 神戸大学)p.42
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、明治神宮競技大会に関連するカテゴリがあります。
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日本選手権大会
関連文献
入江克巳 『昭和スポーツ史論 -明治神宮競技大会と国民精神総動員運動-』 不昧堂出版、1991年。
吉見俊哉他 『運動会と日本近代 -青弓社ライブラリー 6-』 青弓社、1999年。
外部リンク
明治神宮競技大会 - 用語検索 。明治神宮 歴史データベース
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