明治大学短期大学
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明治大学短期大学

大学設置1950年
創立1929年
廃止2007年
学校種別私立
設置者学校法人明治大学
本部所在地東京都千代田区神田駿河台1-1
学部法律科
経済科
新聞科第二部[1]
社会科第二部[1]
工科[2]
電気専攻[2]
機械専攻[2]
建設専攻[2]
造船専攻[2]
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明治大学短期大学(めいじだいがくたんきだいがく、英語: Women's College, Meiji University)は、東京都千代田区神田駿河台1-1に本部を置いていた日本私立大学である。1950年に設置され、2007年に廃止された。大学の略称は明短および明大短大部。学生募集は2003年度まで。2004年に明治大学は情報コミュニケーション学部を設置したため、短期大学は情報コミュニケーション学部に改組され、2007年11月2日をもってその歴史に幕を下ろした[3]

この項目では前身たる明治大学専門部女子部および明治女子専門学校についても扱う。短期大学が発足する前年において、同時に申請していた明治女子短期大学については、別の記事を参照のこと。
概要
大学全体

明治大学短期大学は、
東京都千代田区内にある日本私立短期大学1950年に明治大学短期大学部として設置された。当初は女子のみの法律科・経済科のほか、男女共学の社会科II部・新聞科II部も設置されていたが[4]、社会・新聞の各学科が廃止となってからは女子のみの学科となった。キャンパスは東京都千代田区神田駿河台に置かれていた。

建学の精神(校訓・理念・学是)

明治大学を参照。

教育および研究

旧来の明治大学専門部女子部における教育を継承するべく、経済・法律の各専門教育を行っていた。

1979年、明治大学専門部女子部から数えて創立50周年を記念に、「女性問題研究」と称した総合講座が開講された[5]

学風および特色

明治大学専門部女子部が起源となっている(ただし、
沿革の欄でも述べたように新聞科II部・社会科II部には男女共学だった)。

設置学科が実学的で就職時に有利であり、明治大学以上の就職実績をあげていた。

『明短セミナー』なる雑誌が創刊される[5]

沿革.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに明治大学女子部設立趣意書の原文があります。女子部開校式(記念館

明治大学短期大学の前身は1929年(昭和4年)に設置された明治大学専門部女子部である。1927年(昭和2年)に明大法学部教授会で専門部「女子法科」設置案が提起され、翌年4月に文部省の設置認可を得た。同年10月の商議員会で異論が出たこともあって実際の開校は1929年(昭和3年)にずれ込んだが、学科は法科と商科の2科となり、名称も「女子部」と改められた。

時代を先取りした女子専門教育の誕生ではあったが、定員350名に対して入学者数は伸び悩み、1937年(昭和12年)には廃止論が浮上したこともあった。それでも1940年(昭和15年)に久米愛三淵嘉子中田正子が日本初の女性弁護士となり、1949年(昭和24年)には三淵嘉子と石渡満子が日本初の女性裁判官になるなど、女子法曹界の先駆者としての功績は大きい。

明治女子専門学校(1944年に女子部を改組)は戦後の学制改革時に短期大学部へと改編された。その裏には連合国軍総司令部傘下の民間情報教育局(CIE)担当官ルル・ホームズの助言と指導があった[6]
年表女子部学生による模擬裁判中田正子

1925年4月 - 明治大学で女子聴講生の入学許可がなされる[7]

1929年4月28日 - 専門部女子部(法科・商科)を設置(初代部長・松本重敏)、明治大学記念館で開校式を挙行。

1932年4月 - 女子部卒業生に対し、学部入学が許可される。

1935年 - 女子部法科を経て、法学部を卒業した立石芳枝が女性ではじめて 東京帝国大学大学院法学)に進学する[8](’62に女性初の 法学博士)。

1936年 - 女子部校舎が駿河台2号館に移転。

1938年 - 高等試験司法科(司法試験)に3名の国内初の女性合格者が誕生(久米愛三淵嘉子中田正子)。

1940年

3月 - 女高師女専卒業生の学部入学を認める学則改正を行う。

久米愛、三淵嘉子、中田正子が日本初の女性弁護士となる。


1941年 - 高等試験行政科(国家公務員I種試験)に国内初の女性合格者が誕生(渡辺美恵[9]

1942年9月 - 女子部校舎完成。

1943年8月 - 女子部学生の勤労動員開始。

1944年4月 - 女子部を明治女子専門学校に改組。

1945年4月 - 空襲により猿楽町の旧女子部校舎全焼[10]

1946年 - 女性初の国会議員の一人として、今井はつ衆議院議員総選挙に当選。

1949年 - 三淵嘉子石渡満子が日本初の女性裁判官に就任。

1950年4月 - 明治大学短期大学部(めいじだいがくたんきだいがくぶ)を設置。明治女子専門学校以前より設置されていた法律科・商科を継承して法律科・経済科を置く。


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