明治乳業株式会社
Meiji Dairies Corporation
旧・明治乳業本社
種類株式会社
市場情報東証1部 2261
明治乳業株式会社(めいじにゅうぎょう、英文社名:Meiji Dairies Corporation)は、明治ホールディングス傘下の食品・一般用医薬品メーカーである株式会社 明治が、2011年3月31日まで用いていた旧商号である。
株式会社明治は、法人格の上では1917年12月21日に設立された極東煉乳を継承しており、1940年12月28日に商号を明治乳業に改めている(#沿革節参照)。 「明治」ブランドの乳製品は、大正時代に「明治メリーミルク」、昭和初年に「明治牛乳」「明治バター」が発売されるなど長い歴史を持つが、1940年までこれらを生産していたのは明治製糖子会社の明治製菓であった。1940年に明治製糖傘下に入っていた極東煉乳株式会社が明治乳業株式会社と改称し、明治製糖グループの乳業事業が集約された。 戦時統制の時代を経て事業を拡大。先順位メーカーの不祥事(1955年の森永乳業による森永ヒ素ミルク中毒事件、2000年の雪印乳業による雪印集団食中毒事件[注釈 1])のつど業界順位が上がり、2002年からは日本最大手の乳業メーカーとなっていた。 2009年4月1日、グループ企業ではなかったものの同根企業である明治製菓と共同持株会社「明治ホールディングス株式会社」を設立した。明治乳業は明治ホールディングスの完全子会社となり、ブランドマークも一新された。2011年4月1日に「株式会社 明治」へ商号変更し[1]、明治製菓(現:Meiji Seika ファルマ)から菓子・食品・一般用医薬品(主にイソジンうがい薬など)事業が移管された。この一連の経営統合・事業再編によって、明治グループの食品事業は株式会社 明治に一本化されることになった。 メインバンクはみずほ銀行とりそな銀行であった(明治乳業グループは旧第一勧業銀行と旧あさひ銀行と関係が深かった)。また、日本コカ・コーラと業務提携をしていた。 明治乳業成立までの概略図 房総煉乳 「明治」ブランドの乳業事業は、大正から昭和戦前期にかけて明治製糖傘下の明治製菓(1924年までの商号は東京菓子)によって展開されている。法人としての明治乳業株式会社は、1917年(大正6年)設立の極東煉乳株式会社が1940年(昭和15年)に改称したものであるが、極東煉乳が明治製糖傘下に入ったのは1935年(昭和10年) のことで、それまでは別系統の企業であった。 明治製糖の乳業部門への進出という点では、1917年(大正6年)の房総煉乳への資本参加が事業の起点となる[注釈 2]。1936年刊行の『明治製菓株式会社二十年史』は、乳業部門の社史を房総煉乳合併から書き起こし、煉乳大手の一角であった大日本乳製品(もと北海道煉乳)を合併、極東煉乳を傍系企業に従えるに至る叙述となっている。
概要
沿革
「明治乳業」前史
1916年創立 東京菓子
1916年創立 北海道煉乳
1914年創立 極東煉乳
1917年創立
1917年明糖傘下 1917年明糖傘下
1920年合併
明治製菓
1924年商号変更 大日本乳製品
1926年商号変更
1932年明糖傘下
1933年合併 1935年明糖傘下
1940年乳業分離
明治乳業
1940年商号変更