明治乳業
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明治乳業株式会社
Meiji Dairies Corporation

旧・明治乳業本社
種類株式会社
市場情報東証1部 2261
1949年5月16日 - 2009年3月26日名証1部 2261
2009年3月26日上場廃止
略称明治、明乳
本社所在地136-8908
東京都江東区新砂一丁目2番10号
設立1917年12月21日
(極東煉乳株式会社)
業種食料品
事業内容牛乳の生産、処理及び販売、乳製品育児用品製造及び販売
代表者浅野茂太郎(代表取締役社長)
資本金336億46百万円
(2008年3月31日現在)
発行済株式総数3億2964万8786株
(2008年3月31日現在)
売上高単体:4,783億円
連結:7,069億円
(2008年3月期)
営業利益連結:162億62百万円
(2008年3月期)
純利益連結:92億26百万円
(2008年3月期)
純資産単体:1,250億円
連結:1,474億25百万円
(2008年3月31日現在)
総資産単体:3,322億円
連結:3,901億92百万円
(2008年3月31日現在)
従業員数4,639名(2008年9月30日現在)
決算期毎年3月31日
主要株主明治ホールディングス 100%
外部リンク ⇒http://www.meiji.co.jp/
特記事項:明治グループの事業再編に伴い、2011年4月1日付で「株式会社 明治」に社名変更。
※データは2011年3月31日業務終了時点のもの。
※外部リンクは「株式会社 明治」。
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明治乳業株式会社(めいじにゅうぎょう、英文社名:Meiji Dairies Corporation)は、明治ホールディングス傘下の食品・一般用医薬品メーカーである株式会社 明治が、2011年3月31日まで用いていた旧商号である。

株式会社明治は、法人格の上では1917年12月21日に設立された極東煉乳を継承しており、1940年12月28日に商号を明治乳業に改めている(#沿革節参照)。
概要

「明治」ブランドの乳製品は、大正時代に「明治メリーミルク」、昭和初年に「明治牛乳」「明治バター」が発売されるなど長い歴史を持つが、1940年までこれらを生産していたのは明治製糖子会社の明治製菓であった。1940年に明治製糖傘下に入っていた極東煉乳株式会社が明治乳業株式会社と改称し、明治製糖グループの乳業事業が集約された。

戦時統制の時代を経て事業を拡大。先順位メーカーの不祥事(1955年の森永乳業による森永ヒ素ミルク中毒事件、2000年の雪印乳業による雪印集団食中毒事件[注釈 1])のつど業界順位が上がり、2002年からは日本最大手の乳業メーカーとなっていた。

2009年4月1日、グループ企業ではなかったものの同根企業である明治製菓と共同持株会社明治ホールディングス株式会社」を設立した。明治乳業は明治ホールディングスの完全子会社となり、ブランドマークも一新された。2011年4月1日に「株式会社 明治」へ商号変更し[1]明治製菓(現:Meiji Seika ファルマ)から菓子・食品・一般用医薬品(主にイソジンうがい薬など)事業が移管された。この一連の経営統合・事業再編によって、明治グループの食品事業は株式会社 明治に一本化されることになった。

メインバンクはみずほ銀行りそな銀行であった(明治乳業グループは旧第一勧業銀行と旧あさひ銀行と関係が深かった)。また、日本コカ・コーラ業務提携をしていた。
沿革
「明治乳業」前史

明治乳業成立までの概略図

房総煉乳
1916年創立 東京菓子
1916年創立 北海道煉乳
1914年創立 極東煉乳
1917年創立

1917年明糖傘下 1917年明糖傘下          

     1920年合併          
   
                  

    明治製菓
1924年商号変更 大日本乳製品
1926年商号変更     

         1932年明糖傘下     

    1933年合併      1935年明糖傘下
   
                 

    1940年乳業分離         
       
             明治乳業
1940年商号変更

                 


「明治」ブランドの乳業事業は、大正から昭和戦前期にかけて明治製糖傘下の明治製菓(1924年までの商号は東京菓子)によって展開されている。法人としての明治乳業株式会社は、1917年大正6年)設立の極東煉乳株式会社が1940年(昭和15年)に改称したものであるが、極東煉乳が明治製糖傘下に入ったのは1935年(昭和10年) のことで、それまでは別系統の企業であった。

明治製糖の乳業部門への進出という点では、1917年大正6年)の房総煉乳への資本参加が事業の起点となる[注釈 2]。1936年刊行の『明治製菓株式会社二十年史』は、乳業部門の社史を房総煉乳合併から書き起こし、煉乳大手の一角であった大日本乳製品(もと北海道煉乳)を合併、極東煉乳を傍系企業に従えるに至る叙述となっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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