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凡例明智光安
時代戦国時代
生誕明応9年(1500年)
死没弘治2年9月26日(1556年11月8日)
享年57
改名亀寿丸(幼名)、光安、宗寂(法名)
別名柿田弥次郎(通称)
官位従五位下、兵庫頭
主君斎藤道三
氏族明智氏
父母明智光継、武田信豊娘
兄弟光綱、山岸光信、光安、光久、原光広、
光廉、小見の方
妻斎藤利胤娘
子秀満?、他に二男四女
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明智 光安(あけち みつやす)は、戦国時代の武将。明智光継の三男。 天文4年(1535年)、美濃国明智城主の家督を継いでいた兄・光綱が若くして亡くなると、その子・光秀がまだ幼かったため、隠居していた父・光継に光秀の後見を命じられ、後に光秀が元服した後も明智家の家政を担った。一説には光秀が家督を固辞したとも言う。天文16年(1547年)前将軍・足利義晴に謁見し、また従五位下兵庫頭となった。天文22年(1553年)入道して法名を宗寂と号する。 また斎藤道三が美濃を奪取すると道三に接近し、妹(小見の方)をその継室に出している。しかし道三は子の義龍と対立を深め、弘治2年(1556年)義龍とそれに加担する稲葉良通ら諸将に敗れて戦死した。光安は道三の外戚という立場であったために義龍と対立し、弟の光久 光安を遠山景行と同一人物とする説がある。
生涯
異説
系譜
父:明智光継(1468-1538?)
母:武田信豊娘 - 一説に進士光信娘
正室:斎藤利胤
生母不明の子女
男子:明智秀満(1536?-1582)?
他に二男四女
関連作品
国盗り物語(1973年、演:久米明)
国盗り物語(2005年、演:三上市朗)
麒麟がくる(2020年、演:西村まさ彦)