明成皇后_(テレビドラマ)
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明成皇后
ジャンル
歴史劇[1]
脚本チョン・ハヨン
監督ユン・チャンボム、シン・チャンソク
出演者イ・ミヨン
チェ・ミョンギル
イ・ジヌ
ユ・ドングン
ナレーターソル・ヨンボム(???)
製作
プロデューサーユン・ヨンフン
制作KBS

放送
放送国・地域 韓国 日本
放送期間2001年5月9日 - 2002年7月18日
放送時間木曜日21:50[2] -
回数124
公式ウェブサイト
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明成皇后
各種表記
ハングル:????
漢字:明成皇后
発音:ミョンソン ファンフ
ローマ字:Empress Myeongseong
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『明成皇后』(ミョンソンこうごう[3]ハングル表記:????)は、KBSにて2001年5月9日から2002年7月18日まで放送された韓国のテレビドラマ歴史劇[1]。全124話。
概要

KBS水木ドラマ枠で放送された。チョン・ハヨン(朝鮮語版)が脚本、ユン・チャンボム(朝鮮語版)およびシン・チャンソク(朝鮮語版)の2名が演出、そして韓国国内の番組制作会社サムファネットワークス(朝鮮語版)が番組制作を担当した[4]。当初、全100話の予定であったが後に24話延長された[5]

李氏朝鮮第26代国王・大韓帝国初代皇帝高宗/光武帝の王后・皇后であった明成皇后および、義父にあたる興宣大院君の人間的側面を、俗史的なエピソードも盛り込みつつ描いている[6]

キャスティングのトラブルに見舞われた作品でもあった。主人公明成皇后の成年期以降を演じる女優がなかなか決まらず、オファーを出したカン・スヨンイ・ヨンエに断られた末にイ・ミヨンに決まった[5]。イ・ミヨンは「80話までの出演」という契約を結んでいた[7]が契約を延長し81話以降にも出演するのを拒否したため、壮年期以降はチェ・ミョンギルが演じることとなった[7]。この突然の主人公交代劇が、視聴者からの不満の声や視聴率低下を招いたとみるメディアもある[7]

2001年度KBS演技大賞では最優秀演技賞(イ・ミヨン)・助演賞(キム・ソンファン、キム・ボミ)・今年のPD賞(ユン・チャンボム)の3部門で[8]、翌2002年度同賞ではユ・ドングンの大賞をはじめ、最優秀演技賞(チェ・ミョンギル)・助演賞(キム・ソンリョン)の3部門で受賞した[9]。ユ・ドングンは第38回百想芸術大賞テレビ番組部門最優秀演技賞(男優)も受賞している[10]

脚本家のチョン・ハヨンがウェブサイトで脚本を公開していた[11]。KBSの公式ウェブサイトでも脚本を公開していた[12]。ドラマ全編の動画がKBSの公式ウェブサイトで無料で公開されている[13]
あらすじ.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2021年9月)(使い方

以下の見出しは便宜的なもので作品に記されてはいない。[14]
大院君の執政

朝鮮王朝末期の1863年に第26代国王になった高宗(コジョン)は、後に大韓帝国皇帝を称し1907年まで日本統治時代前の朝鮮国王の座にいた人物であるが、国王に即位したときはまだ13歳で、高宗の実父である大院君(テウォングン)が権力を握る。大院君は、高宗が即位するまで約60年間にわたった安東金氏勢道政治の弊害を取り除き、神貞王后趙氏による垂簾聴政を廃す[15]一方、文禄・慶長の役で焼失した後270年間にわたって再建されないままになっていた王宮である景福宮を再建して王室の威信を回復させようとするが、工事費用が財政を圧迫し、庶民は工事に動員され、両班は寄付を求められ、工事途中で火事が起き[16]、さらに工事費用がかさむなどしたため、大院君の執権に対する不満が大きくなる[17]

大院君は高宗の王妃選考に際しても神貞王后趙氏や安東金氏の影響力を断ち、大院君夫人の一族である驪興閔氏で故人である閔致禄の娘16歳のジャヨン(後に明成皇后と称される)を王妃とした[16]。しかし15歳の高宗はすでに年上の宮女である李尚宮(朝鮮語版)(イサングン)のとりこになっていて、ジャヨンは一晩中読書をして孤独を慰める日々を送る[18]。高宗の寵愛を受ける李尚宮は懐妊し、完和君(朝鮮語版)(1868年 - 1880年)を出産する[19]

第11回

景福宮の再建工事が完成する。

第12回

国王の一族にもかかわらず零落していた興宣君(のちの大院君)が息子を王位につけるまでの回想。

第13回、第15回

1868年。大院君が完和君を高宗の嫡子にしようとする。

第14回

1868年。閔妃が高宗と初めて同衾する。

第16回、第17回


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