明延鉱業
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明延鉱山(あけのべこうざん)とは、兵庫県養父市大屋町明延でかつて操業していたスズ亜鉛タングステンなどの多品種の非鉄金属鉱脈をもつ鉱山。特にスズは日本一の鉱量を誇っていた。
目次

1 概要

2 アクセス

3 関連項目

4 外部リンク

概要

明延鉱山は平安時代初期の大同年間に採掘開始といわれる。明治初年(1868年)、生野銀山とともに官営となり、1896年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられた。

1973年(昭和48年)に三菱金属株式会社(現三菱マテリアル株式会社)となり、1972年(昭和47年)のオイルショックをきっかけに、1976年(昭和51年)に三菱金属の子会社として分離・独立し明延鉱業株式会社となる。最盛期には、鉱山関係の人口が4,123人(963世帯)おり、娯楽施設の協和会館では、最新の映画が上演され、多くの芸能人(島倉千代子村田英雄フランク永井など)が歌った。

1912年(大正元年)に明延鉱山の鉱石を神子畑(みこばた)選鉱所に運ぶためにつくられた 5.75 km の鉱山列車「明神電車」は、1952年(昭和27年)以来、乗車賃「一円」で乗客を運んだことから、「一円電車」として有名になったこともある。

粗鉱生産量は、ピーク時の戦時中から1951年(昭和26年)頃には月産 35,000 t、閉山前頃には、銅、亜鉛、スズの粗鉱生産量が月産 25,500 t であったが、プラザ合意後の急激な円高に伴う銅、亜鉛、スズの市況の下落により、大幅な赤字を計上することとなり、まだ採掘可能な鉱脈を残して、1987年(昭和62年)1月31日午後11時20分の発破を最後に、同年3月をもって閉山した。

2007年(平成19年)11月30日公表の近代化産業遺産認定遺産リスト(経済産業省)において、「25. 我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」の中で、明延鉱山関係では、「明神電車と蓄電池機関車」「明延鉱山探検坑道(旧世谷通洞坑)」「明盛共同浴場『第一浴場』建屋」の3点が認定された。

明延鉱山跡には、選鉱所の建物や鉱山鉄道で使われていた踏切の警報機、レール等が、2006年に現認されている。また、鉱山で使われていた鉄道車両(明神電車と蓄電池機関車、貨車等)や明延鉱山探検坑道は、養父市立あけのべ自然学校が管理している。明神電車の一部の車両は、朝来市の「道の駅 あさご」にも、三両静態保存されている。

明延鉱山坑道跡(世谷通洞坑)

明延鉱山跡(大仙選鉱場)

旧協和会館(1957年建設)

第一浴場(1934年建設)

明神電車(一円電車)
(1980年8月撮影)

アクセス

山陰本線八鹿駅から全但バスで明延行に乗車、「明延」下車。

関連項目

日本の鉱山の一覧

明神電車(一円電車)

神子畑選鉱所

外部リンク

あけのべ自然学校

地域活性化のための「近代化産業遺産群33」の公表について(経済産業省)


更新日時:2018年6月6日(水)08:57
取得日時:2019/07/05 17:21


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