明六雑誌
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各号の表紙裏に掲載された「発刊の辞」。“近頃友人同士が集まって、ものの道理や耳珍しい話に興じたことによって、学問を切磋琢磨しつつ、不明瞭な点を無くして心を晴れやかにした。その集まりの時の話を書き留めたところ幾冊にもなったので、これを出版し同好の士に配ろうと思う。薄い小冊子だが、人々の知識増進の助けとなれば幸いである。明治七年二月 明六社しるす”

『明六雑誌』(めいろくざっし)は、 明六社の機関誌。 1874年明治7年)4月2日創刊、1875年(明治8年)11月14日停刊。全43号。

明治維新期の日本における学術総合雑誌で、学会誌の先駆けとなり、文明開化下の日本に大きな影響を与えた刊行物である。
書誌情報

タイトル - 『明六雑誌』

発行所 -
報知社

発行形態 ? 月に平均2回ないし3回刊行、予約購買制もしくは書店販売

サイズ - 17cm×12cm(B6判相当)、または21cm×14.5cm(A5判相当)、12頁?24頁(平均20頁)、半紙半截二つ折り

使用紙 ? 和紙(雁皮紙

活字 ? 五号活字使用。30字×13行

発行部数 - 毎号平均3205冊余発行(第30号森有礼演説による)、あるいは毎号平均2840冊(『内務省第一回年報』による)

定価 - 3銭?5銭(頁数により異なる)

備考 - 数種の異本あり。『明六雑誌』の雑誌体裁は、明治10年代まで学術雑誌のモデルとなった。


表紙(第十号)

表紙裏(第十号)
発刊の辞(ここでは「明六同社識」となっている)

最終頁(第十号)
「稟白」(代価説明)

裏表紙(第十号)

明六社の発足明六社の発起人の一人、森有礼

明六社は、明治初期にアメリカ帰りの森有礼西村茂樹に相談して設立した結社。社名は明治六年(1873年)に結成されたことに因む。その設立目的は以下のようなものであった。社を設立するの趣旨は、我国の教育を進めんがために有志の徒会同して、その手段を商議するにあり。また、同志集会して異見を公刊し、知を広め識を明にするにあり。 ? 明六社制規第1条、明治7年2月

すなわち西欧のように知識人たちが集って親交と学識を深めつつ、民衆を啓蒙するために設立された団体であった。明治日本にとって最大の目標は、富国強兵を実現し西欧列強に互することであったことはいうまでもない。そのために西欧をモデルとして様々な技術や人(お雇い外国人)、制度を移入することで明治維新が進められたが、やがてそういった枠組みを受容するだけではなく、人間という中身も変革(雑誌のことばでいえば「民心の一新」)することを目指す啓蒙思想が興ってきた。そして「文明国」という「世界標準」に追いつくためには、民衆を「文明国」的「国民」へと改鋳すべきだという使命感を持ち活動した人々を啓蒙家という。この啓蒙家が集まったのが明六社であったのである。

明六社の核となった同人には森、西村に誘われて津田真道西周中村正直加藤弘之箕作秋坪福澤諭吉杉亨二箕作麟祥など、当時を代表する錚々たる知識人たちが参加した(以下の文では適宜単に名字のみを記す)。かれらには幾つかの共通点がある。まず西村以外は下級武士あるいは庶民といった下層出身者であったこと[1]、次いで明治となる以前から洋学者として頭角を現し、幕府開成所などに召し抱えられていたことである。これと関連して、その多くが幕末明治期かいずれかに洋行の経験があって、尊皇攘夷思想に染まった経験がなかった。また福澤を除けば、明治以後は官吏として維新政府(太政官)に仕えていたことも特徴といえる。

上記のような欧米事情に明るい知識人たちが、啓蒙するための手段として選択したのが定例演説会と雑誌発行であった。両者は不可分の関係にある。何故なら、定例演説会で個別のテーマについて意見交換し、それを基に筆記したものが『明六雑誌』に掲載されたからである。こうした新しい知の情報伝達は『明六雑誌』の成功に大きく貢献した。ちなみにこの「演説」ということばは福澤がスピーチにあてた訳語であるといわれる[2]。また演説会が開かれたのは、洋食好みが多かったこともあって築地精養軒であった[3]
『明六雑誌』
『明六雑誌』の刊行

明六社が結成されてより、年をまたいだ数ヶ月後に『明六雑誌』はようやく刊行された。発売された雑誌はいずれも刊記に発行日が記されているが、それが新聞に出された現実の発行日と一致しないことしばしばあった。たとえば第1号は3月と記されているが、実際には4月2日発行である。これは印刷・編集といった諸問題から発行日が記載されたものとずれたのだと考えられている。また規約によれば、月に二回発行するとなっているが、その点はアバウトであって、創刊時には一気に4冊出版しているが、雑誌の行く末が危ぶまれた時には月に一回しか発行しなかったこともあった。掲載される論説本数も2?6本とばらつきがある。アバウトな点は他にもある。実は『明六雑誌』には幾つか異本が有ることが分かっている。タイトルは「明六雑誌」で知られているが、本文1頁には「明六社雑誌」と表記しているものがほとんどであった。ところがいくつかの号では表紙通り「明六雑誌」と記載されていた。大きさもB6判相当のものとA5判相当のものの二種類あることが確認されている。

雑誌には啓蒙という大目標があるものの、細かい厳密な編集方針はなく、全号を一貫する具体的テーマもない。また個別のテーマに対する論者の姿勢も一人一人異なっており、後述するような特徴はあっても明六社として、雑誌全体として何か統一的なアピール(たとえば民撰議院を導入せよ/するなといったもの)を行うことはなかった。『明六雑誌』は特定の意見を発信するというよりも、様々な問題を提起し、知識を紹介して人々の関心を高めること自体が目的であった。また演説会・雑誌という当時目新しかった情報伝達手段もそれ自体が関心を引くのに十分であった。議論を公開するという点で外向的、意見が統一されていないという点で拡散的であることを『明六雑誌』は性質としていた。

扱う範囲は総合学術誌を目指しただけあって広範で、学者のあり方から妾の是非(男女同権論等)、哲学信教の自由などの宗教論、文字改良論などの教育論、死刑廃止論等の社会問題関連、貨幣貿易等の経済諸問題、はては妖怪の類まで、非常に広きにわたる論説・翻訳を扱っている。ただ文学に関してだけは論説が少ない。西周が「知説」(第25号)で文学用語を紹介する程度である。

掲載論説の総数は156本[4]。その内訳は、多い順に並べると津田真道29本、西周25本、阪谷素20本[5]、杉享二13本、森有礼と西村茂樹、中村正直が同列で11本、加藤弘之が10本、神田孝平が9本、箕作麟祥5本、柏原孝明4本、福澤諭吉3本、清水卯三郎2本[6]、箕作秋坪と津田仙柴田昌吉が並んで各1本である[7]。なお、掲載されたものは明六社同人のものに限られていた。詳しくは後述の「掲載論説一覧」を参照されたい。
『明六雑誌』の特徴
制度的改革

分野は多岐に渡るが、それらにはある特徴を看取できる。欧米の諸制度・思想を紹介して、それを文明国標準とする一方で、旧来既存の日本の考え方や制度に批判を加えようとする姿勢である。たとえば津田真道の「拷問論」を例とすると、明治になっても容疑者の取り調べには拷問が認められているが、こうしたことは文明国では認められていないもので、司法への不信や冤罪を生じさせる悪風だと論じている。
民心の一新-国民精神改革-1952年1月31日発行の切手に描かれた西周

上記は制度改革について論じたものの例であるが、一方で国民の考え方、気風を変えるべきとの姿勢も顕著である。中村正直の「人民の性質を改造する説」(第30号)、西周の「国民気風論」(第32号)などにその特徴が濃厚である。たとえば後者を要約すると、日本人の気風には専制政治を甘んじて受ける「奴隷根情〔ママ〕」が見うけられ、幕末まで美点とされてきた「忠諒易直」(心根が真っ直ぐであること)は、鎖国を国是としない明治の世では「無気無力」の別名に過ぎないとまでいう。これは彼らが国民とは何かという問いをもって、西欧の書物を開く時、そこに頻出する“individual”あるいは“individuality”という語彙に触発されてのことである。現在でこそ、このことばには「個人」という訳語が定着しているが、当時は未だ定まった訳語はなかった。自由独立な権利の主体という概念がそれまでの日本には無かったためである[8]。『明六雑誌』では「人々」・「個々人々」(以上西周)、「各個」・「人民各個」(以上西村茂樹)という訳語が当てられており、訳語に苦労したことがうかがえる。つまり彼らのいう日本人に見える「奴隷根情〔ママ〕」なるものは、“individual”(“individuality”)に照らされて浮かび上がった問題意識であった。こうした西欧を指標として日本との落差を計測する姿勢の背後には、一国の文明化・強国化の要件として国民一人 々 の知識獲得や文化程度の向上を求める単線的な発展史観があったのである。
人間観の転換

「忠諒易直」が明治の世にあっては「無気無力」と断ぜられた背後には、人間に対する見方の変化がある。江戸時代に体制教学であった朱子学は人間の欲望充足・利害への関心に厳しい抑制を求めていた[9]。しかし『明六雑誌』の啓蒙主義は、迷信や因習に縛られない自由で合理的な精神を追求し、欲望や利害に関し肯定的な功利主義に立つ人間像をもっていた。たとえば津田真道は「情欲論」(第34号)において情欲を「天性の自然」と肯定し、西周「人世三宝論」(第38号他)では健康と智識と並んで「富有」を宝だと述べている。
啓蒙思想の源泉


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