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明元帝 拓跋嗣
北魏
第2代皇帝
王朝北魏
在位期間永興元年10月17日 - 泰常8年11月6日
(409年11月10日 - 423年12月24日)
都城平城
姓・諱拓跋嗣
諡号明元皇帝
廟号太宗・世祖
生年登国7年(392年)
没年泰常8年11月6日
(423年12月24日)
父道武帝
母劉貴人
陵墓雲中金陵
年号永興 : 409年 - 413年
神瑞 : 414年 - 416年
泰常 : 416年 - 423年
明元帝(めいげんてい)は、北朝北魏の第2代皇帝(在位:409年 - 423年)。 392年、拓跋珪(道武帝)の長男として生まれる。母の劉貴人は拓跋嗣が立太子される前、代・北魏の慣習に従い道武帝より死を賜った。これを知った拓跋嗣は嘆き悲しみ、道武帝に反発して出奔したことがあった。 409年、父の道武帝が異母弟の拓跋紹(次男)によって殺害される事件が発生すると、拓跋紹を討ち即位する。 漢人官僚の崔宏・崔浩を用い統治機構の整備に腐心した。戦乱に明け暮れた治世を送り、423年、南朝宋との戦役の中で崩御した。
生涯
宗室【拓跋氏系図】(編集
『魏書』巻1?巻22、『北史』巻5・巻14を元に作成。
拓跋部 (1)拓跋毛
(13)拓跋鄰
(14)拓跋詰汾
禿髪匹孤 (15)拓跋力微
(南涼) (16)拓跋沙漠汗
(17)拓跋悉鹿 (18)拓跋綽 (東部)拓跋禄官
(中部)拓跋猗? (19)拓跋弗
代 (1)拓跋猗盧
(2)拓跋普根 (5)拓跋賀? (6,8)拓跋?那 拓跋六脩 (4)拓跋鬱律
3拓跋? (7,9)拓跋翳槐 (10)拓跋什翼? 拓跋孤