明仁から徳仁への皇位継承
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この項目では、2019年、日本の元号が「平成」から「令和」に改元される時に行われた皇位継承について説明しています。

一般的な日本の天皇の位の継承については「皇位継承」をご覧ください。

明仁(2016年)徳仁(2019年)

明仁から徳仁への皇位継承(あきひとからなるひとへのこういけいしょう)では、2019年平成31年)4月30日から翌(令和元年)5月1日に、日本において行われた皇位継承について解説する。
概要[ソースを編集]

この皇位継承は、日本国憲法及び天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号、2017年(平成29年)6月16日公布)に基づき、第125代天皇である明仁2019年4月30日の終わりをもって退位して上皇となり、同年5月1日午前0時をもって徳仁(上皇第1皇男子[1])が第126代天皇として即位したことで実現した[2]

明仁は在位中の2010年(平成22年)に譲位する意向があることを周囲の人々に表明しており[3]2016年(平成28年)8月8日には、この意図を国民向けに「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」としてビデオメッセージで公表した[4]。しかし、天皇の譲位は江戸時代1817年文化14年)に第119代光格天皇が第120代仁孝天皇への譲位を行って以来途絶していたこと、1947年昭和22年)施行の現行の皇室典範では天皇の退位について規定されていないことや天皇の政治関与を禁止する日本国憲法の下での退位を実現させるため、必要な法整備[5]、退位後の明仁の処遇[5]、退位の儀式[6]などに関する議論が行われた。そして、皇室典範の特別措置法を制定して明仁一代に限定した退位を実現させるに至り[7]、退位後の明仁は上皇(じょうこう)として天皇とほぼ同等の処遇がなされる一方[5][8]、公務からは引退することになった[9]

この皇位継承のもう一つの特徴として、皇位継承後の皇嗣となった秋篠宮文仁親王は徳仁の弟(第125代天皇明仁第2皇男子)であるため、現行の皇室典範の下では初めて、皇嗣が皇太子でなくなることであり、これについても議論が行われたが、ほぼ皇太子と同等の処遇がなされることになった[5][8]

また、この皇位継承によって元号法(昭和54年法律第43号)に基づいて元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)[* 1]が公布され、元号が「平成」から「令和」に改められた[2]
背景[ソースを編集]「退位」および「譲位」も参照
過去の退位・譲位[ソースを編集]

古くは、天皇の崩御によって皇位継承が行われていた[10]。しかし、歴史紀行作家の中山良昭によれば、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本に仏教が伝来し、死が汚れだとみなされ始めると、在位したまま天皇が崩御することは忌避されるようになった[11][信頼性要検証]。そして、645年の乙巳の変の翌日に皇極天皇が退位し、孝徳天皇に皇位が継承されると、しだいに譲位による皇位継承が慣例となった[10][11][* 2]。これ以降、江戸時代の光格天皇までに60人の天皇が退位した[11][* 3]

譲位した天皇は太上天皇(だじょうてんのう)、略称で上皇(じょうこう)と呼ばれ、院政を行って権力を握ったり[12]、出家して法皇(ほうおう)となったり、和歌や学問に励んだりする者がいた[13]。一方、天皇との対立に敗れたり、流罪になったりして不遇な余生を送る者もおり[14]、様々であった。
退位を認めない皇室典範[ソースを編集]

ところが、弁護士の田上嘉一によれば、「王政復古は、神武天皇の時代、すなわち譲位が慣例化する前の時代に戻ろうとして行われたので、明治時代には、譲位は認められなかった[15]」という。田上は、このため、「1889年に発布された皇室典範第10条には、『天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク』と記載され、天皇の即位の要件は、前帝が崩御していることと定められたのだ」としている[15]。皇室典範草案の作成に携わった伊藤博文も、その著書で、他人の意思により強制的に天皇が退位させられた挙げ句、南北朝の動乱を招いた過去があるので、皇室典範では前天皇の崩御時以外の天皇の即位は認めないことにしたと述べている[16]

現在使われている皇室典範が定められた際にも、当時の金森徳次郎国務大臣(憲法担当)が帝国議会で生前退位を否定する答弁を行い、現在の皇室典範第4条では、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」と決められるに至った。すなわち、前帝の崩御のみが、引き続き皇位継承の要件となったのである[15]
戦後の退位に関する動き[ソースを編集]

日本国憲法では、第1条で天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であることが定められている。また、第4条には天皇は「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とあり、「国事に関する行為」の内容は第7条に記されている[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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