旭日松広太
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旭日松 広太


基礎情報
四股名松嶋 → 旭日松
本名松嶋 広太
愛称こうちゃん、宴会部長[1]
生年月日 (1989-07-21) 1989年7月21日(34歳)
出身千葉県野田市
身長174cm
体重133kg
BMI43.9
所属部屋大島部屋友綱部屋
得意技押し、引き
成績
現在の番付引退
最高位東前頭11枚目
生涯戦歴453勝453敗31休(96場所)
幕内戦歴23勝35敗2休(4場所)
優勝幕下優勝1回
データ
初土俵2005年3月場所
入幕2012年9月場所
引退2021年5月場所
(番付上は2021年7月場所)
引退後年寄・桐山
趣味スポーツ観戦、お笑い鑑賞
備考
2021年6月21日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

旭日松 広太(あさひしょう こうた、1989年7月21日 - )は、千葉県野田市出身で友綱部屋(入門時は大島部屋)に所属した元大相撲力士。本名は松嶋 広太。身長174cm、体重133kg。最高位は東前頭11枚目(2012年11月場所)。得意技は押し、引き。血液型はB型。好物は湯豆腐のちゃんこ、焼肉。[2][3]現在は年寄桐山
来歴

3歳からレスリングを始め、関宿町立木間ヶ瀬小学校(現在の野田市立木間ヶ瀬小学校)2年次から6年次まで5年連続で全国大会で優勝している。野田市立木間ヶ瀬中学校進学後もレスリングを続けチャンピオンも経験していたが、「レスリングではメシが食えない。有名、金持ちになりたい。」という動機[4]で中学卒業と同時に相撲へ転向することを決意。中卒見込みとなった2005年3月場所、本名の松嶋の四股名で大島部屋から初土俵を踏んだ。同年11月場所において四股名を松嶋から旭日松に変え、序ノ口序二段三段目を経て2008年7月場所には幕下に昇進した。休場もあってやや低速したが2009年5月場所には再び幕下へ戻った。その後は幕下の地位で相撲をとっていたが、2011年9月場所で西幕下12枚目で7戦全勝優勝を果たし11月場所での十両昇進が決まった。野田市出身の関取は初である。13日目の豊後錦に勝って7戦全勝優勝が決まったときには嬉しさのあまり涙を流した。

新関取となった11月場所では十両の土俵にやや苦戦したものの14日目に自身初の新関取での勝ち越しを決めた。翌2012年4月24日には、師匠の定年に伴って所属していた大島部屋が閉鎖され、本人は「星1つが足らずに大島部屋での入幕会見は果たせなかった」ことを悔しがっており「もっと師匠に怒られたかった。」とふがいなさを感じていたそうである(直前の3月場所では東十両4枚目で9勝を挙げて翌場所は同筆頭となっており、あと1勝できていれば入幕していた可能性が高い)[5]。2012年5月場所より友綱部屋所属となった。

移籍2場所目となる2012年7月場所は西十両4枚目で10勝5敗の好成績をあげ、翌9月場所では大島部屋入門者としては旭富士から数えて10人目となる新入幕となった。同場所7日目にとの同期対決を演じるも、塩撒きで観衆を沸かせたのとは裏腹にあっさりと寄り切られて、勝負では安の方が歓声を浴びた。結局8勝7敗と勝ち越したが、翌場所から2場所連続負け越して十両へ陥落した。

2013年7月場所では東十両7枚目で9勝6敗の成績を残した。普通なら入幕は不可能に近いが、番付運に恵まれ、翌9月場所では7枚上昇の東前頭16枚目に昇進し、再入幕を果たした(なお、7月場所で番付が半枚上の西十両6枚目の豊真将も同じく9勝6敗の成績でありながら、翌9月場所では西前頭13枚目まで大きく番付を上げた)。この場所は4日目までで3勝1敗の好成績だったが、9日目の翔天狼との取組で左肘内側側副靱帯を損傷してしまい、10日目から幕内では初めての休場。しかし休場を我慢しきれず[6]13日目から再出場をして、最後は2連勝でこの場所を終えた。翌11月場所は4日目の徳真鵬戦での白星から11日目の鏡桜戦での黒星まで8日間にわたってヌケヌケの状態を繰り返した末、14日目に勝ち越しを果たし、最終的には9勝6敗の成績に終わった[7]。2014年1月場所からは7月場所までは十両で4場所連続負け越しを喫するなど調子が上がらなかったが、東十両11枚目まで番付を下げた9月場所に8勝7敗と勝ち越し、東十両6枚目まで番付を回復した次の11月場所も8勝7敗と勝ち越した。2014年6月10日に東京都出身の女性と結婚、同年11月17日に第1子となる長男が誕生。[8]2015年5月場所は9日目に大翔丸徳利投げの奇手で破っており、この場所は9勝6敗の勝ち越し。[9]西十両13枚目で迎えた2017年5月場所に7勝8敗で負け越し。下に十両の番付をもう1枚残しており、本来であれば十両に残留できる星数だったが、陥落する力士が少なかった事や幕下上位で勝ち越した力士が多かった影響により、2017年7月場所では不運な陥落となった。これにより、34場所守った関取の座を手放す事となった。7月場所は2勝2敗の後に5番相撲から残りを休場。その後は幕下生活が続き、2020年1月場所ではおよそ10年ぶりの三段目での土俵となったが、この場所では幕下陥落以降で最高となる6勝を挙げ、1場所で幕下に復帰した。

2021年5月場所後の6月11日、現役引退と年寄・桐山襲名が発表された[10]。会見では4年前から糖尿病を患っており、2017年7月場所で幕下に陥落して緊張の糸が切れ、2020年7月場所を終えた時に負けて悔しいという気持ちが薄れたと感じたという。思い出の取組として2012年9月場所7日目の高安戦の黒星を挙げ、今後の抱負として「明るく元気でハキハキとした、勝ちに貪欲な負けん気の強い子を育てたい」と語った[11]

2022年12月3日、断髪式が行われた。一門の13代宮城野、入門時の師匠の2代大島などが出席し、約370人が鋏を入れた。止め鋏は引退時の師匠である6代大島が入れた[12]


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