旭大星託也
[Wikipedia|▼Menu]

旭大星 託也


基礎情報
四股名大串 → 旭大星
本名大串 拓也
愛称タクヤ
生年月日 (1989-10-18) 1989年10月18日(31歳)
出身北海道旭川市
身長184cm
体重150kg
BMI44.31
所属部屋大島部屋友綱部屋
得意技右前褌、出し投げ、押し、引き
成績
現在の番付東十両8枚目
最高位西前頭8枚目
生涯戦歴403勝360敗33休(76場所)
幕内戦歴19勝23敗18休(4場所)
敢闘賞1回
データ
初土俵2008年1月場所
入幕2018年5月場所
趣味トレーニング
備考
2021年3月1日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

旭大星 託也(きょくたいせい たくや、1989年10月18日 - )は、北海道旭川市出身で、友綱部屋(入門時は大島部屋)所属の現役大相撲力士。本名は大串 拓也(おおぐし たくや)。身長184cm、体重150kg、血液型はB型。最高位は西前頭8枚目(2018年7月場所)。好物は牛丼。[1]目次

1 来歴

2 取り口

3 人物

4 主な成績

4.1 通算成績

4.2 三賞・金星

4.3 場所別成績


5 改名歴

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

来歴

幼少期は父親から空手の指導を受けていたが、小学校2年次に地元のスポーツ少年団で柔道を始める。2002年に旭川市立啓北中学校へ進学したが、柔道部が無かったため野球部に所属し、柔道は引き続き地元の道場で指南を受けた。2年生のときに地元を合宿のため訪れていた大島部屋からスカウトを受けたが、この時は入門を断っている。そのまま柔道の特待生として旭川大学高等学校へ進学し、柔道部のエースとして活躍。複数の大学から推薦入学の誘いを受けたが、勉強をしたくないという理由で進学には乗り気でなかった。そのような状況で、高校3年生の夏に、再び大島親方(元大関旭國)がやってきて、スカウトを受けた。相変わらず相撲に興味は持っていなかったが、裸一貫から勝負できることに魅力を感じたため、相撲への転向を決意し、大島部屋への入門が決まった。[2]上京直前には父親から「もう帰ってくる場所がないから覚悟しろ」と厳しい言葉で送り出された。[3]

地元の友人・知人・親戚らに盛大に見送られて上京し、高校卒業を間近に控えた2008年1月場所で初土俵を踏み、翌3月場所からは旭大星に改名。入門同期生には誉富士明瀬山慶天海らがいる。入門から半年の間になかなか体重が増えなかったことや部屋の厳しい稽古や生活、成績が一進一退続きであったことに耐えかねて部屋から逃亡したこともある[3]が、体が大きくなるにつれて番付も上昇し、2010年9月場所では初めて幕下に昇進。2012年1月場所以降は幕下の地位に定着した。同年4月に、師匠の停年(定年)退職に伴って大島部屋が消滅したため、友綱部屋に移籍。自身と同じく現役時代は軽量だった入門時の師匠・旭國の相撲をDVDで研究し、稽古相手も増えた新しい環境で、2014年に入ってからは体重も大幅に増加。5月場所後の番付編成会議で新十両昇進が決定した。北海道出身力士の新十両昇進は2001年11月場所の若天狼以来[4]。北海道出身十両の復活は、前述の若天狼が引退した2011年5月技量審査場所以来である。7月場所初日の十両土俵入りでは所作を間違えるハプニングが発生。[5]この場所は千秋楽に勝ち越しを懸けるも惜しくも7勝8敗の負け越し。翌9月場所は9日目からの5連敗が響いて5勝10敗と負け越し、新十両から2場所で幕下の地位に戻ることとなった。東幕下5枚目の地位を与えられた11月場所も7番相撲で3勝4敗と負け越し、半枚下の西幕下5枚目の地位で4勝3敗の成績を残した舛ノ山に場所後の再十両を譲る格好となった。ところが、その後は4場所連続で勝ち越し、2015年9月場所で6場所振りに十両に復帰した。その場所は9勝6敗と勝ち越している。2016年11月場所直前の11月7日に行われた宮城野部屋での出稽古では、幕内力士との稽古で土俵際で逆転するキレ味鋭い動きで状態の良さを感じさせ、自身初の十両での2場所連続勝ち越しに意欲を見せた[6]。11月場所7日目まで2勝5敗と前半大きく出遅れたが、残りを全勝して10勝5敗と自身初の2けた白星を挙げた。2017年9月場所は、9日目に東京都出身の家事手伝いの女性と婚姻届を提出する[7]も、この場所は6勝9敗の負け越し。夫人とは2012年の知人の紹介で出会い、2017年7月場所の千秋楽にプロポーズをして、夫人が承諾したという。旭大星は「とても料理が上手で、ちょっと天然ボケなところが好きです。一目ぼれしました。子どもは二人くらい欲しい」というと、夫人は「いちばん好きなのは優しいところ。相撲を取っている時はかっこよくてどきどきします」と話した[7]。10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを9番行った[8]。11月場所は序盤の6連勝などもあって9勝6敗。翌2018年1月場所は西十両筆頭と新入幕を目前とする番付となった。この場所は序盤から白星を先行させ、13日目に勝ち越しを決めたが、そこから星を上積みできず8勝7敗に終わった。この場所では幕内から十両に落ちる力士が3人しかいなかったこともあり、翌場所は東十両筆頭に半枚移動しただけとなった[9]。その3月場所も8勝7敗と勝ち越し、5月場所で新入幕となった。北海道出身者の新入幕は1992年1月場所の立洸以来約26年ぶり、北海道出身者が幕内の番付に在位するのは1998年5月場所の北勝鬨以来20年ぶりのこととなった[10]。新入幕の5月場所は11日目に勝ち越しを決め、最終的に10勝5敗と二桁の白星で、敢闘賞を受賞した。千秋楽の千代丸に勝てば三賞をもらえる事は取組前に知ったが、「負けても9番だから」と硬くならずに臨めたという[11]。7月場所は西前頭8枚目に番付を上げて臨んだが、初日からの5連敗が響いて6勝9敗と負け越した。
取り口

右前ミツからの攻め、突き押し、引き技が得意技。相手が安易に真っ直ぐ引いたところを手を伸ばして追尾してそのまま押し切るのが旭大星の勝ちパターン。一方、それほど大柄ではないので負ける時は押し出しで負けることが多く、突き押し力士は苦手な方。また、体重が140kg台に乗った2018年頃からそれほど動きが早い訳ではなくなったため、その影響で石浦などの軽量の力士には動き負けることもある。

2019年頃になると稽古不足なのか体の張りに欠けるようになり、同年5月場所9日目の隆の勝戦のように立合いで先んじても挽回されてそのまま押し負ける相撲も目立つようになった。

下位時代はちょん掛けをよく決めたが、関取昇進後は影を潜めている。また、少なくとも十両以上の土俵では下手を使っての決まり手にはあまり恵まれない。
人物 旭大星の新入幕を祝う垂れ幕が下げられた旭川市役所

6人きょうだいの上から2番目(姉1人、妹3人、入門後に生まれた異母弟1人)。生母とは中学2年の時に死別した。3歳年下の妹も高校時代は柔道部に所属していた[12]

入門前後の様子はNHKとフランス人女性映画監督ジル・クロンによってドキュメンタリー映画化されている[13]

趣味はトレーニング。漫画やゲームの類には興味を持っていない[14]

大島部屋時代は完全に小食であり、米が好きであると言いつつも丼1杯で満腹になってしまうためなかなか体重が増えなかった。2013年頃からは小食が改善され、友綱部屋に移籍してから関取に昇進するまでの間に25kgの増量を果たした[15]

2016年9月場所、14日目まで勝ち越しを掴めずにいたことに関して、新十両昇進の際から使う浴衣の帯に描かれた北斗七星を指して「星が7つだから縁起が悪いのかな」とこぼした。しかし千秋楽に勝ちこして縁起の悪さを吹き飛ばした[16]

巡業で子供と相撲を取る時には、他の関取が子供に負けてあげるのに対して、ほとんどの場合勝って実力を見せつける。これに対して本人は「自分は、子どもに稽古をつけるときはいつもそうです。か弱い小さい子にしか負けない。『プロは強いんだぞ』というのを教えてあげたいから。嫌われちゃうかな」[17]と述べている。

2018年夏巡業中、日刊スポーツの絵日記企画で、海水浴場の絵を描いた。留萌の海で家族と共に釣りやバーベキューを楽しんだ思い出は、中学在学中に母を喪った旭大星にとっては特別な思い出。同時点でも釣りを趣味としているのは、留萌の海で旨い魚をたくさん釣った経験による[18]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:37 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef