早稲田大学大学院社会科学研究科・社会科学部
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}早稲田大学 > 早稲田大学社会科学総合学術院 > 早稲田大学大学院社会科学研究科・社会科学部

早稲田大学社会科学部(School of Social Sciences、略称:SSS)は、早稲田大学が設置する社会科学部。早稲田大学大学院社会科学研究科(Graduate School of Social Sciences、略称:GSSS)は、早稲田大学社会科学総合学術院に設置された社会科学の大学院研究科。
概要

第二政治経済学部第二法学部第二商学部を廃止し、1966年に設置された独立した学部である。社会科学部はそれまでの専門分化した社会諸科学(政治学・経済学・法学・経営学・社会学等)の研究では対応できない諸問題の解決を目指し、社会科学系専門分野を総合的・学際的に研究する学部として創設され、学際的研究を目的とした日本初の学部である。当時の学部要項には「真の社会科学の樹立を目指している」と記述されている。

社会科学部専任教員は多様な分野を専門としたが、それぞれの教員が「社会諸科学の総合」の在り方を究明するため、研鑽・研究を重ねた。創設当初、社会科学部のビジョンを探求し、マスタープランの作成をめざす社会科学部検討委員会において、カリキュラム構想が練られた。その検討委員会の委員長として、大きな業績を残したのは社会科学方法論を講じた難波田春夫教授であった。同教授の論文「社会科学方法叙説」(『早稲田社会科学総合研究』創刊号)及び「社会科学方法考」(『早稲田社会科学総合研究』第16号 創設10周年記念号)を熟読すると社会科学部の存立意義が理解できる。

1979年6月、社会科学部教授会は創立100周年記念事業の一環として、社会科学部の新キャンパスへの移転と昼間部化を申し入れたが、理事会で否認され、1987年4月、新キャンパス(所沢キャンパス)には人間科学部が設置された。『早稲田大学百五十年史』

1992年?94年、早稲田大学社会科学部長岡澤憲芙は、21世紀を見据えた、社会科学部の目指すビジョンを明確にし、「国際性:Transnationality」と「学際性:Interdisciplinarity 」という二本の柱を社会科学部の学部理念に掲げた。比較政治学者でもある岡澤憲芙は、社会科学部の求める学生像を『心に地球儀を持った学生』と再定義した。また社会科学部の学部カリキュラムを刷新し、「国際化」と「情報化」という環境変化を見据え、教授陣の充実、新校舎「新14号館」の建設といった、大規模な投資を行った。

1998年、新14号館が竣工し、13時(土曜10時40分)から開講する昼夜開講学部になり、2009年に昼間学部へ移行した。[1]

入試の志願者数も1966年には1920名であったが、1970年 4336名、1976年には1万人を超えた(社会科学部History1966-早稲田歴史館)。その後、1980年 10787名、1982年 10569名を数え、例年1万人を超える志願者をあつめる人気学部として、より難化した。(1966年の18歳人口は約249万人、4年制大学への進学率は11.8%。現在とは大きな違いがあることを考慮しなければならない)

1)志願者を増やした要因の一つが就職率である。第1回卒業生の就職希望者275名の87%、240名の就職が決定した。「因に八七パーセントの就職率は第一文学部や教育学部をそれぞれ一〇パーセントおよび三パーセントを上廻るものであった」『早稲田大学百五十年史』  

2)早稲田人気である。早稲田大学を好み入学したいと希望する者は多い。しかし、地方出身者にとって東京での生活費を工面できるかどうかという不安もあった。社会科学部なら定職に就いても通学できる、アルバイトもし易い。社会科学部は地方出身の男子学生が多かった。

3)社会科学部も予備校の偏差値ランキングに掲載されるようになると、「法政・明治には行きたくない。やはり早稲田の方が良い。第一志望の学部でなくても、早稲田大学社会科学部が良い。」と考える受験生が増加してきた。

4)どの学部の学生とでも交流でき、自由に学びたい分野を学べる早稲田大学の方針が認知されたこと。例えば、社会科学部の卒業には136単位の修得が必要であった。卒業論文は必修ではないが、大多数の学生はゼミに所属し、ゼミ論の作成、提出に努力を惜しまなかった。他学部聴講もでき、20単位までは卒業単位として認定された。必修であった体育実技・理論4単位は、体育局で登録して他学部の学生と一緒に授業を受けた。(現在では卒業修得単位124単位のうち、48単位まで他学部・指定他大学授業を聴講しても、卒業単位として認定される)

教員免許の取得を希望する場合は、教育学部の教職課程で他学部の学生と一緒に授業を受けることになる。地理・歴史科目は文学部の授業を受け単位を取得する。早稲田では教育学部の学生も教職課程に登録して授業を受けないと教員免許を取得できなかった。

司法試験の合格をめざす者は、法学部の法職課程に登録すると授業を受けることができる。社会科学部・政治経済学部・文学部・教育学部・理工学部等、どの学部の学生でも司法試験に合格している。

外国語の修得をめざす者は、語学教育研究所に登録して授業を受けることができた。社会科学部の卒業生には、外務公務員試験(合格者の大半は東大法学部であった)に合格した者もいる。

サークル活動は社会科学部のサークルだけでなく、全学サークルに所属し活動する者も多い。学術系全学サークルに所属し、東大博士課程に進学、博士号を取得し国立大学教授になった者もいる。社会科学部の学生が結成した山岳サークルが全学サークルに発展したこともあった。

卒業生の各界での活躍によって、いつしか「最も早稲田らしい学部」と言われるようになり、昔ながらのバンカラ気質を残す学部としても知られ、社会的評価が高まっていった。

現在、本学部入試において、英語、日本史・世界史問題(2025年度入試より共通テスト3科目+英語・総合問題または英語・数学に改編)は早稲田最難関とも言われており、入試実質倍率も例年10倍を数えるなど、早稲田大学の人気学部である。
教育・研究の特徴

早稲田大学社会科学部の開設科目は、「社会科学総合学部」として【政治経済法律経営会計 】から【国際、環境、都市、社会、近現代史、言語文化、情報、コミュニケーション】といった科目に加え、【地域研究国際関係論平和学環境政策マーケティング、メディア・スタディーズ】といった「学際複合領域」の科目まで多岐にわたる。

ゼミは、大学2年次の春学期から始まり、社会科学総合・政治学・経済学・法学・商学・人文科学・自然科学の7つの分野における約60のテーマ?「臨床性」の深い、ケーススタディやフィールドスタディを重視したテーマが多く含まれる?から学生が自由に選べるのも特徴である。大学2年次では「専門的学習への導入」、大学3年次では「専門的・総合的学習」、大学4年次では「専門的・総合的学習の完成」という流れで社会科学部の学生はそれぞれの専門分野の知識を深めていく。

社会科学部には多くの海外協定校があり、海外を身近に感じるコーディネートされたプログラムも充実している。学習戦略をデザインし、自分主体の学びを実践するための科目「ラーニング・コミュニティ」や、英語で専門を学ぶ「グローバルラーニング」、現代社会が直面しているテーマについて、多角的な切り口から問題を分析する「社会科学総合研究」、その他1000科目以上の講義科目を通じて新しい問題意識を開拓し、学びのモチベーションをアップしながら、新しい自分を拓くことができる。

※教職に必要な科目を履修することで、高等学校教諭・一種免許状(地理歴史公民 (教科)商業 (教科)情報 (教科))、中学校教諭・一種免許状(社会 (教科))の資格取得が可能。社会科学部 科目登録


早稲田大学社会科学部の教授陣には多様なバックグラウンドを有する研究者が加わった。 特に、「地域研究:Area studies」と様々な領域において国境を越えた「比較研究:Comparative research」に取組む研究者が多く着任し、ダイバーシティという観点からも、女性の研究者、外国人の研究者、とりわけ外部(早稲田大学以外)からの研究者の占める割合が高まったことにより、多様性の高い体制がこの時期に築かれることとなった。語学の教員を除いて、早稲田大学で初めて外部から外国人の研究者を専任教員として迎えた学部である。中国人の教授が「中国研究」を講じ、ベトナム人の教授が「国際貿易論」を講ずる。



校舎・設備の特徴

早稲田大学社会科学部の新校舎「新14号館」は、本部キャンパスで最初に、情報化時代に対応した校舎として建設された。校舎内での円滑な移動を可能にするため、エレベーターをはじめ、学内初となるエスカレーターの設置が行われた校舎でもある。晴天時には上層階から東京スカイツリーのほか、遠く富士山を望むこともできる。また新14号館は、海外の著名政治家、世界の第一線で活躍する知識人を招いた講演会の他、内外の著名経済人が出席するビジネスフォーラム、国際シンポジウムの会場にも利用されることが多い。過去には、29歳で文部大臣に就任し、「世界一の学力」と評された、フィンランドの教育政策及び情報化時代への政策転換を担ったオッリペッカ・ヘイノネン運輸・通信大臣(当時)や、Albert Carnesaleハーバード大学ケネディスクール元学院長/UCLA (University of California, Los Angeles) 総長(1997-2006年)、ジョージ・H・W・ブッシュ 第41代アメリカ合衆国大統領コリン・パウエル 第65代国務長官・第12代統合参謀本部議長ヨシュカ・フィッシャー元ドイツ副首相(兼外務大臣)・元緑の党党首、中村修二 カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授などの講演がこの新14号館で行われている。さらに、早稲田大学で初めて実施された秋入学式の式場にも利用された。[[14号館201教室

]]
年表

1966年(昭和41年)- 社会科学部創設。17時25分から授業開始。

1971年(昭和46年)- 15時50分(土曜14時10分)から授業開始。

1983年(昭和58年)- 早稲田大学創立100周年記念行事を開催。早稲田大学社会科学部学会編『新しい社会科学を求めて』(行人社) 出版。

1986年(昭和61年)- 14時30分(土曜13時)から授業開始。

1989年(平成元年)- 全国自己推薦入試(評定平均4.5以上、現4.0以上)創設。                         ※2024年度入試より、英語外部検定試験スコア提出を必須化。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:137 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef