この記事は大言壮語的な記述になっています。Wikipedia:大言壮語をしないを参考に修正して下さい。(2014年4月)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "早慶六連戦"
早慶六連戦(そうけいろくれんせん)は、1960年11月6日から11月12日にかけて明治神宮野球場において早稲田大学と慶應義塾大学との間で行われた、東京六大学野球リーグ戦の早慶戦および優勝決定戦である。 1960年秋季リーグ戦の優勝争いは、最終週の早慶戦を前にこのような状況だった。 3位の法政以下、立教・明治・東大は全日程を終えて勝ち点3以下で、優勝の可能性は早慶2校に絞られた。 慶應が順調に勝ち点を積み上げたのに対して早稲田は直前の明治戦で4連戦の末に勝ち点を落としてしまった。 慶應は早慶戦で2勝して勝ち点を取れば優勝を果たす。一方早稲田が優勝するには連勝するか、2勝1敗で慶應と同勝ち点・同率となって優勝決定戦(勝ち点・勝率がリーグ戦全日程終了時にともに同じ場合は、規定により直接対決の成績などに関係なく1試合制の決定戦を行う。引き分けがあった場合は勝敗が決するまで再試合を繰り返す)に持ち込み、勝てば優勝と、慶應より厳しい条件となってしまった。 慶應にとっては優勝すれば8シーズンぶり。早稲田は前年の秋季リーグで立教との優勝決定戦に敗れ、この年の春季リーグは慶應に連敗して優勝を阻まれている。 慶應は投手に清沢忠彦、角谷隆、三浦清、丹羽弘と実力者を多数そろえ、打線も六大学最高打率を更新した榎本博明や、後にプロ入りする安藤統夫、大橋勲、渡海昇二ら強打者を擁していた。 対する早稲田は安藤元博、金沢宏の両サブマリンが投の軸だが、前年春季リーグでベストナインに選出された金沢は、練習中に指を痛め登板に不安を残す。野手陣は木次文夫、近藤昭仁といった好打者が卒業し、野村徹、徳武定之を中心とした守りのチームとなった。戦力的には慶應優位と言われており、優勝争いで一歩リードしていることから、この早慶戦を慶應優勢と見る声が多かった。 両校を指揮するのは早稲田が3年目・28歳の石井連藏、慶應は新監督で30歳の前田祐吉。 ※早慶両校に安藤姓の選手がいるため、それぞれ「安藤元」(安藤元博=早稲田)「安藤統」(安藤統夫=慶應)と表記する。 ※責任投手名の右の()内は1960年秋季リーグ戦の通算成績。決定戦の成績はリーグ戦の成績にチーム・個人とも反映させないので表記せず。 11月6日 早稲田大学 慶應義塾大学 早稲田が5回に先制。2死一,二塁として末次が代わった角谷から三塁線を破る適時二塁打を放つ。7回にも村瀬栄治が適時打を打って追加点を挙げた。慶應は安藤元を打ち崩せず、最終回に1死一,三塁から大橋の適時打で1点差に迫り、続く小島の中飛で二塁走者渡海がタッチアップするが三塁で封殺されて試合終了。 11月7日 慶應義塾大学 早稲田大学 後がなくなった慶應が雪辱し、逆王手をかけて3回戦に持ち込んだ。1回に榎本が三盗、このとき野村の送球が逸れて先制。2回には1死満塁から野選と押し出し四球で2点を加えた。2回から登板した角谷がロングリリーフで、早稲田打線をヒット1本に抑える好投を見せた。勝てば優勝だった早稲田は金沢の犠飛で挙げた1点のみで3回からは無安打。序盤の拙守の連発で優勝がお預けになってしまった。 11月8日 早稲田大学 慶應義塾大学 勝って優勝決定戦に持ち込みたい早稲田は1回に徳武の犠飛で先制、8回に敵失で追加点、9回に徳武が本塁に突入し落球を誘ってダメ押し点(後述)。投げては安藤元が慶應打線を5安打に抑え込んで今季初完封。慶應は打線が沈黙してしまった。これにより早稲田が2勝1敗で勝ち点を挙げ、早慶ともに9勝4敗・勝ち点4と全く並んだため、早慶による優勝決定戦が行われることとなった。早慶2校による決定戦は1939年秋季(この年は春も早慶で決定戦を実施)以来、21年ぶりのこと(なお、1951年春季は立教も加わっての3校での決定戦がある)。
決戦前の状況と戦前評
慶應:8勝2敗、勝ち点4
早稲田:7勝3敗、勝ち点3
経過
1回戦
123456789RHE
早稲田大学000010100271
慶應義塾大学000000001161
早:安藤元(9回)
慶:清沢(4回2/3)、角谷(3回1/3)、丹羽(1回)
勝:安藤元(5勝) 敗:清沢(2勝2敗)
審判
[球審]宇野
[塁審]福村・有間・国武
試合時間:2時間28分
打順守備選手
1[左]伊田保生(3年)
2[遊]末次義久(2年)
3[二]村瀬栄治(4年)
4[三]徳武定之(4年)
5[中]石黒行彦(3年)
6[捕]野村徹(4年)
7[一]村上唯三郎(1年)
一好田稔(4年)
8[右]所正美(4年)
9[投]安藤元博(3年)
打順守備選手
1[遊]安藤統夫(3年)
2[左]榎本博明(2年)
3[中]渡海昇二(4年)
4[捕]大橋勲(2年)
走北野昭也(3年)
5[右]小島郁夫(4年)
6[一]村木博(4年)
7[三]村橋哲夫(4年)
打玉置忠夫(4年)
三田浦正昭(2年)
8[二]近藤良輔(4年)
打山田忠司(4年)
二宮田邦夫(4年)
9[投]清沢忠彦(3年)
投角谷隆(3年)
打平島太助(2年)
投丹羽弘(3年)
2回戦
123456789RHE
慶應義塾大学120000001470
早稲田大学001000000111
慶:三浦(1回)、角谷(8回)
早:金沢(9回)
勝:角谷(3勝1敗) 敗:金沢(3勝3敗)
審判
[球審]小林
[塁審]坂本・梅沢・植田
試合時間:2時間40分
打順守備選手
1[遊]安藤統夫(3年)
2[左]榎本博明(2年)
3[中]渡海昇二(4年)
4[捕]大橋勲(2年)
5[右]小島郁夫(4年)
6[一]村木博(4年)
7[三]村橋哲夫(4年)
三田浦正昭(2年)
8[二]近藤良輔(4年)
9[投]三浦清(3年)
打玉置忠夫(4年)
走島津行高(3年)
投角谷隆(3年)
打順守備選手
1[左]伊田保生(3年)
2[遊]末次義久(2年)
3[二]村瀬栄治(4年)
4[三]徳武定之(4年)
5[中]石黒行彦(3年)
6[捕]野村徹(4年)
7[一]村上唯三郎(1年)
打大井道夫(1年)
一好田稔(4年)
8[右]所正美(4年)
9[投]金沢宏(4年)
打奥村孝弘(4年)
走前田光雄(4年)
3回戦
123456789RHE
早稲田大学100000011340
慶應義塾大学000000000053
早:安藤元(9回)
慶:清沢(8回)、丹羽(1回)
勝:安藤元(6勝) 敗:清沢(2勝3敗)
審判
[球審]真田
[塁審]美山・植田・酒井
試合時間:2時間36分
打順守備選手
1[左]伊田保生(3年)
左鈴木勝夫(3年)
2[遊]末次義久(2年)
3[中]石黒行彦(3年)
4[三]徳武定之(4年)
5[二]村瀬栄治(4年)
6[捕]野村徹(4年)
7[一]村上唯三郎(1年)
8[右]所正美(4年)
9[投]安藤元博(3年)
打順守備選手
1[遊]安藤統夫(3年)
2[左]榎本博明(2年)
打玉置忠夫(4年)
左山田忠司(4年)
3[中]渡海昇二(4年)
4[捕]大橋勲(2年)
5[右]小島郁夫(4年)
6[一]村木博(4年)
7[三]田浦正昭(2年)
打田中勝芳(4年)
三村橋哲夫(4年)
打福岡啓助(3年)
三宮田邦夫(4年)
8[二]近藤良輔(4年)
打山本順三(4年)
二北野昭也(3年)
9[投]清沢忠彦(3年)
打夏目操(4年)
投丹羽弘(3年)
優勝決定戦第1戦
Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef