早川 幸男
(はやかわ さちお)
生誕1923年10月16日
日本 愛媛県新居郡新居浜町
死没 (1992-02-05) 1992年2月5日(68歳没)
国籍 日本
研究分野宇宙物理学
素粒子物理学
研究機関中央気象台気象研究所
大阪市立大学
コーネル大学
マサチューセッツ工科大学
京都大学
名古屋大学
東京大学
出身校東京帝国大学
博士課程
指導学生奥田治之、松本敏雄
主な業績宇宙線の超新星起源説の提唱
はくちょうの打ち上げへの貢献
主な受賞歴中日文化賞(1967年)
朝日賞(1973年)
マーセル・グロスマン賞
早川 幸男(はやかわ さちお、1923年(大正12年)10月16日 - 1992年(平成4年)2月5日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)、素粒子物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は、高エネルギー天体物理学、宇宙論、赤外線天文学。愛媛県新居郡新居浜町(現・愛媛県新居浜市)出身。二男は同じく物理学者の早川尚男。
人物(名古屋大学名誉教授)の紹介で気象台に勤めて素粒子論的宇宙線の研究を始める。初期の論文は素粒子論の応用の色彩が強かったが渡米後、本格的な宇宙線研究者になる。1953年にはγ線天文学の提唱、1955年には宇宙線の超新星起源説等を唱えた。名大に移った後は実験計画にも参画し、「はくちょう」の打ち上げ等に貢献している。
早川の弟子に奥田治之、松本敏雄、田中靖郎[1]、山下廣順[2]らがいる。孫弟子に舞原俊憲・佐藤修二・中川貴雄[3]らが、曾孫弟子に田村元秀[4]らがいる。同じ物理学者の早川尚男は息子。
略歴
1936年:新居浜町の私立住友惣開尋常高等小学校(新居浜市立惣開小学校の前身)卒業。旧制武蔵高等学校に入学。二・二六事件の日に入学受験だった。中等部、高等部を通して剣道部で活躍。高等部1年のときにインターハイ優勝(1940年)後に主将。
1942年:旧制武蔵高等学校卒業(15期)。東京帝国大学理学部物理学科に入学。学生時代は朝永振一郎に師事した。
1945年:東京帝国大学理学部物理学科卒業。中央気象台気象研究所入所。
1949年:大阪市立大学理工学部講師。
1950年:大阪市立大学理工学部助教授。コーネル大学研究員。
1951年:マサチューセッツ工科大学招待教授。
1954年1月:京都大学基礎物理学研究所教授。
1956年:コーネル大学・マサチューセッツ工科大学研究員。
1958年:物理学者及び天文学者を京都大学基礎物理学研究所に集める。
1959年3月:名古屋大学理学部教授。のち東京大学宇宙航空研究所教授兼任。
1969年: 学園紛争の最中に病気の坂田昌一に代わり理学部長代理。
1970年4月: 名古屋大学理学部長。
1987年4月:名古屋大学名誉教授。
1987年6月:名古屋大学学長。
1992年2月5日:現職の学長のまま68歳で死去。
受賞歴
1967年:中日文化賞[5]
1973年:朝日賞。1980年にも「はくちょう」グループの一員として受賞[6]
1988年:マルセル・グロスマン賞[7]
1991年:日本学士院賞
栄典
1988年:紫綬褒章
1992年:叙従三位、叙勲一等授瑞宝章
著書
単著
『進化する宇宙』(講談社 ブルーバックス 1969年)
『Cosmic Ray Physics』(John Wiley & Sons 1969年)
『宇宙線』(筑摩書房 筑摩総合大学 1972年)
『宇宙物理学』(岩波書店 現代物理学の基礎11 1973年)
『銀河系・星間塵』(恒星社厚生閣 現代天文学講座8 1980年)
『新しい宇宙の探求』(岩波書店 1990年)
『宇宙・航空の時代を拓く』
共著
『現代における宇宙像と生命像』(日本放送出版協会 1972年)
『かに星雲の話』(中央公論社 自然選書 1973年)
編著
『現代の宇宙論』(名古屋大学出版会 1988年)
訳書
『素粒子物理学の誕生』(L.W.ブラウン・L.ホジソン編 講談社 1986年)
脚注[脚注の使い方]^ 弟子と言うよりは共同研究者
^ 2004年名古屋大学副総長。1962-1978年早川門下。
^ 舞原・佐藤・中川の3人は奥田の弟子である。
^ 田村は佐藤の弟子である。