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やノートページでの議論にご協力ください。早川 伸吾(はやかわ しんご、1968年1月14日 - )は、宮崎県を拠点に活躍する日本のお笑い芸人、ラジオパーソナリティ、大道芸人、司会者、俳優、冒険家、YouTuber。
本名同じ。そのまんま東(現・東国原英夫)の一番弟子で、ビートたけしの初孫弟子でもあり、師匠である東国原英夫の政務秘書も務めていた。元たけし軍団の一員である。自身のYouTube『早川伸吾の一番乗りちゃんねる』で、新店舗開店、一番乗りに挑戦する動画や宮崎でキャンプをするプロ野球やサッカーなどの主にファンサービスを中心に配信している。
愛知県名古屋市南区出身、名古屋市立大磯小学校、名古屋市立新郊中学校、私立名古屋大谷高等学校卒業。血液型はAB型。身長169cm、体重65kg。宮崎県宮崎市在住。宮崎観光PR大使でもある。所属事務所は有限会社 東国原で早川は有限会社 東国原の宮崎支店長である。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
経歴
出典検索?: "早川伸吾"
1992年、そのまんま東(現東国原英夫)に弟子入り。運転手兼付き人を経て、お笑い芸人として数々のバラエティー番組等に出演。当初はそのまんま東がそうしたように、早川も一年間そのまんま東(現東国原英夫)の自宅に住み込んで内弟子修行をするよう師匠から言われ、住み込む予定も、当時の妻で、女優のかとうかず子の反対で、内弟子修行はわずか10分で終了し通い弟子に変更になった。
そのまんま東の一番弟子だが弟子は早川一人しかいない。
持ちネタの「人間シャボン玉」では、裏オリンピック日本代表として、タイの国営放送にも出演したびっくり人間である。持ちネタの一つである「人間ししおどし」はビートたけし、タモリ、ダウンタウン・松本人志、爆笑問題・太田光、東国原英夫、今田耕司ら数々の芸能人達から絶賛される。
2007年、東国原英夫が宮崎県知事選挙に立候補してからは、スタッフとして選挙運動に携わる。知事当選後もスタッフ(東国原の側近と称される)として知事のサポート(私設秘書)に当たっていた。選挙活動中は常に東国原のそばにいたためテレビに映ることが多く、「彼は誰なのか」と問われることが多かった。現在も知事の取材に同席することが多く、また単独でもテレビ出演することがある。東国原英夫が宮崎県知事選に当選確定時の「バンザイ三唱」では、テレビに良く映るように東国原英夫の背後をキープ。「バンザイ三唱」時、東国原英夫のすぐ後ろでバッチリテレビに映りまくる。後に東国原は「あの混沌とした状況で、背後に回り込みテレビに映り込むなんてすごい能力だ」と語り、一連の動きを「バンザイ芸」と命名。
東国原の知事当選後は、『サタデースクランブル』や、『サンデージャポン』などのテレビ番組が、ほぼ毎週東国原知事の特集を組んでいた。その際、早川も一緒に出演する機会が多かった。サンデージャポンでは、自らの持ちネタも公開している。その後も、宮崎で活動しており、宮崎放送のラジオ番組『MRTスーパーワイドバリッと朝』の月曜日・火曜日のパーソナリティでレギュラーを担当している。
また、担当する月火曜のラジオMRTスーパーワイドバリッと朝では、お中元&お歳暮を早川自身がリスナーの自宅に届ける、リスナーに逆FAXなど画期的な企画を多数実行している。また早川と交友関係のある著名人が多数出演している。主な出演者は東国原英夫、大森うたえもん、高原兄、高杢禎彦、猫ひろしなど。 2003年「日本列島徒歩縦断」に挑戦。単独で北海道稚内?九州鹿児島まで3000キロを97日間で完歩。稚内市役所スタート⇒留萌⇒札幌⇒長万部⇒函館(青函フェリーにて)⇒青森⇒秋田⇒酒田⇒村上⇒新潟⇒富山⇒金沢⇒福井⇒敦賀⇒京都⇒神戸⇒岡山⇒広島⇒下関⇒福岡⇒熊本⇒人吉⇒小林⇒宮崎⇒都城⇒国分⇒鹿児島市役所前(ゴール地点)到着のルートで歩いた。 2005年には、「自転車(ママチャリ)四国88箇所お遍路巡り」に挑戦。現金を持参せず、道中に行う大道芸で得た収入のみで旅を続け、総距離1500キロに及ぶ四国88箇所お遍路を自転車で巡った。 2007年、ラジオ企画で「宮崎県自転車一周」を達成。自分の携帯電話の番号をラジオで公開。リスナーと触れ合いながら9日間かけて宮崎県内をママチャリで一周した。更に同年には、宮崎から東京まで1500キロを、高速道路は一切使わず、一般道路のみで39時間13分かけての宮崎から東京まで運転して帰った経験あり。(一般道で帰った理由は、東国原知事からもらった高速代4万円を浮かせるためである) 2009年、「宮崎県徒歩一周」に挑戦。宮崎県全28市町村を全部徒歩で周り、総歩行日数30日間、総歩行距離680キロに及ぶ宮崎県徒歩一周を達成。宮崎県庁をスタート⇒清武町⇒日南市⇒串間市⇒三股町⇒都城市⇒高原町⇒小林市⇒えびの市⇒野尻町⇒綾町⇒国富町⇒西都市⇒西米良村⇒椎葉村⇒五ヶ瀬町⇒高千穂町⇒日之影町⇒諸塚村⇒美郷町⇒延岡市⇒門川町⇒日向市⇒都農町⇒川南町⇒木城町⇒高鍋町⇒新富町⇒宮崎市県庁ゴールの順に歩いた。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
行脚企画
道中の各地にて、新聞・テレビ・ラジオ等に出演したり大道芸をしながらのお笑い列島行脚。主要地点に、東国原英夫、吉川敏夫、唯是一寿が応援に駆けつけた。「日本列島徒歩縦断」の偉業は、植村直己冒険館主宰の2003年植村直己冒険賞にノミネートされたり、Yahoo!ニュースで取り上げられたり、笑っていいとも!日刊スポーツ等で大々的に取り上げられた。
なお、鹿児島ゴール後は、鹿児島から東京までヒッチハイクで帰った。
自身のラジオ番組で報告しながらの徒歩旅で、スタート時の県庁には、ラジオを聴いて3人が見送りに来たが、彼の30日間の歩きがリスナーの心に響いたのかゴール時の県庁には100人の出迎えを受けた。なお、宮崎県徒歩一周として全市町村を徒歩で周ったのは早川が史上初である。
趣味
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