早岐駅
東口駅舎と駅前の様子(2014年10月)
はいき
Haiki
早岐駅(はいきえき)は、長崎県佐世保市早岐一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。
概要[ソースを編集]
長崎県北部の鉄道交通の要衝となる駅で全列車が停車し、特急「みどり」「ハウステンボス」の併結列車が当駅で分割・併合を行っている。当駅の所属線である佐世保線と[4]、当駅を起点とする大村線の2路線が乗り入れている。複数のJR路線が乗入れる駅としては日本最西端に当たる[5]。
佐世保線普通列車は朝・夕方の下り3本・上り2本を除き当駅で乗換となる。当駅以東の普通列車の一部は長崎本線に直通して鳥栖駅まで乗り入れ、1往復のみさらに鹿児島本線に直通して門司港駅・吉塚駅発着で運行される列車もある。吉塚駅始発列車は2012年3月16日までは山陽本線下関駅が始発で、佐世保線列車としては本州に乗入れる唯一のものになっていた。その後門司港駅始発に変更されたのを経て2014年3月15日より現在の区間となっている。大村線は当駅が起点であるが当駅始発・終着列車は朝晩の普通列車の一部のみで、特急「ハウステンボス」は佐世保線江北駅方面に乗入れて博多駅まで、快速・区間快速(「シーサイドライナー」)全列車と残りの普通列車は佐世保線佐世保駅までそれぞれ直通している。かつては松浦鉄道西九州線の列車も1往復当駅まで乗入れていたが、2020年3月14日ダイヤ改正で松浦鉄道との直通運転は終了した。
当駅は佐世保線の中間駅、大村線の起点駅であるが、駅構内の配線は大村線と佐世保線の双方向が直通可能で、佐世保線はスイッチバック構造となっている。これは、当駅が元々長崎本線から佐世保線が分岐する駅として開設した名残で、1934年に長崎本線が現在の肥前鹿島駅経由のルートに変更された際、肥前山口駅(現・江北駅) - 当駅間は従来の佐世保線である当駅 - 佐世保駅間と統合されて佐世保線となり、当駅 - 諫早駅間は大村線として独立した結果である。
また、長崎駅の連続立体交差事業に伴い長崎車両センターが長崎駅から当駅に移転することが決定し、2010年8月から移転工事が始まっていたが、2014年3月15日に佐世保車両センターとして開業した。
歴史[ソースを編集]
1897年(明治30年)
7月10日:九州鉄道長崎線の終着駅として開設[2]。
7月22日:長崎線長与駅 - 長崎駅(現・浦上駅)間開業。同時に当駅 - 長与駅間を結ぶ鉄道連絡船として、大村湾連絡船が運航を開始する。
早岐側の港は当駅から徒歩数分の早岐港。長与側の港は、当初は道ノ尾駅近くの時津港だったが、間も無く長与駅近くの舟津港に変更された。
1898年(明治31年)
1月20日:長崎線が大村駅まで延伸[6]。同時に早岐駅 - 佐世保駅間の路線も開業。
11月27日:大村駅 - 長与駅間開業に伴い長崎線全通。これに伴い大村湾連絡船は廃止。なお、現在の長崎駅まで路線が伸びたのは1905年である。
1907年(明治40年)7月1日:九州鉄道が国有化され、帝国鉄道庁に移管[2]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、鳥栖駅 - 早岐駅 - 長崎駅間に長崎本線、早岐駅 - 佐世保駅間に佐世保線の名前が与えられ、当駅は長崎本線と佐世保線の駅となる。
1934年(昭和9年)12月1日:長崎本線が肥前鹿島駅経由ルートに変更されたのに伴い、従来ルートのうち肥前山口駅(現・江北駅) - 早岐駅間は佐世保線に編入され、早岐駅 - 諫早駅間は大村線の名前が与えられる。これにより当駅は佐世保線と大村線の駅となる。
終戦直後の一時期、外地からの復員・引上者向けに、東京駅 - 早岐駅間運行(上り列車は大村線南風崎駅始発)の普通列車が日2 - 3往復運転されていた事があった(ムーンライトながら#東海道本線夜行普通列車沿革も参照)。
1942年(昭和17年)5月27日:早岐町を佐世保市に編入。
1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱廃止[2]。
1985年(昭和60年)3月14日:荷物扱い廃止[2]。
1986年(昭和61年)3月29日:みどりの窓口を新設[7]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる[2]。なお民営化と同時に有田駅 - 当駅間貨物営業が廃止されたため、当駅は日本貨物鉄道(JR貨物)には継承されていない。
2010年(平成22年)
7月8日:佐世保市役所 教育委員会早岐地区公民館・東部住民センターにて、地元住民に対する早岐駅への車両基地移転工事に伴う工事説明会を実施。
8月上旬:車両基地移転工事着工。
2014年(平成26年)3月15日:車両基地が一部完成し、「長崎鉄道事業部佐世保車両センター」として運用開始。長崎駅に隣接する同事業部長崎車両センターの基地機能の大半が移管される。