早坂圭介
[Wikipedia|▼Menu]

早坂 圭介千葉スカイセイラーズ 球団代表兼監督 #70
2024年4月20日
四街道総合公園野球場にて撮影
基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県横須賀市
生年月日 (1984-06-19) 1984年6月19日(39歳)
身長
体重176 cm
63 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション二塁手外野手遊撃手
プロ入り2002年 ドラフト8巡目
初出場2003年7月11日
最終出場2014年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


横浜商工高等学校

千葉ロッテマリーンズ (2003 - 2015)

コーチ歴


福井ネクサスエレファンツ (2022)

千葉スカイセイラーズ (2023 - )

この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

早坂 圭介(はやさか けいすけ、1984年6月19日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元プロ野球選手内野手外野手)、野球指導者
経歴
プロ入り前

横須賀市立不入斗中学校時代には、軟式野球の横須賀スターズクラブでプレー[1]横浜商工高校(現在の横浜創学館高校)の在校時には、春夏ともに阪神甲子園球場の全国大会への出場を果たせなかった。3年生だった2002年の夏には、神奈川大会の準々決勝で桐蔭学園に敗れている。

2002年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズからの8巡目指名を受けたことを機に入団。横浜商工高校出身者から初めてのプロ野球選手になった。背番号は68。
ロッテ時代千葉ロッテ時代の2012年7月8日 QVCマリンフィールドにて

2003年には一軍公式戦14試合で2盗塁を記録。イースタン・リーグ公式戦では、22盗塁で盗塁王を獲得した。2004年には、同リーグ2位の30盗塁を記録したものの、一軍公式戦への出場機会はなかった。

2005年には、イースタン・リーグ公式戦で34盗塁を記録。チームメイトの代田建紀と争い、自身2年ぶりの盗塁王になった。レギュラーシーズンでは一軍に昇格できなかったが、ポストシーズンでは、福岡ソフトバンクホークス戦とのプレーオフ第5戦でシーズン初の一軍戦出場。代打で杉内俊哉から内野安打[2]を放つと、その後に就いた二塁守備で川ア宗則の打球を好捕するなど、チームの勝利と31年ぶりのパシフィック・リーグ優勝に貢献した。さらに、チームの日本シリーズ制覇でシーズンを終えた後には、アジアシリーズへ出場。対チャイナスターズ戦では、安打と盗塁を記録している。

2006年には、イースタン・リーグ公式戦で打率.314、リーグ3位の24盗塁を記録。一軍公式戦にも3年ぶりに出場した。しかし、通算6試合で1盗塁を成功させたものの、通算9打席で無安打(1死球)に終わった。

2007年には、6月19日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、豊田清を相手に試みた犠打が三塁への内野安打になり、一軍での初安打を記録している。イースタン・リーグで打率.332を記録し、22盗塁で自身3度目の盗塁王を獲得したが、一軍ではホセ・オーティズが二塁手として定着していたため、公式戦への出場機会が2年続けて6試合にとどまった。

2008年には、一軍公式戦17試合に出場したが、打率が.083にとどまるなど精彩を欠いた。その一方で、イースタン・リーグ公式戦では、70試合の出場でリーグ3位の23盗塁を記録している。

2009年には、内野手登録のまま、春季キャンプから外野の守備を練習。オープン戦でも好調を維持し、自身初の開幕一軍入りを果たした。公式戦の開幕当初は、主に代走と外野の守備要員として起用。しかし、6月から西岡剛に代わって「1番・遊撃手」としてスタメンに抜擢されると、8月以降は早川大輔に代わって中堅手のレギュラーに定着した。8月2日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、3安打を放ち、3本目の安打が一軍初のサヨナラ安打になった。8月28日の対楽天戦(千葉マリンスタジアム)では、7回裏に藤原紘通から、右打席で一軍初本塁打を放っている。一軍公式戦全体では、外野手として45試合、遊撃手として27試合、二塁手として11試合に出場。通算83試合の出場で、チーム2位の12盗塁を記録した。

2010年には、新人の荻野貴司がオープン戦から台頭。2年連続の開幕一軍入りを果たしたが、開幕戦のスタメンから外れた[3]。荻野が戦線を離脱した5月下旬から2番でスタメンに起用されたが、同月30日の対横浜ベイスターズ戦で盗塁を試みた際に、相手野手との接触によって左膝前十字靱帯および内側側副靱帯を損傷。残りのシーズンを棒に振った。

2011年には、前年の大怪我から一軍復帰を果たすと、復帰2戦目(7月20日のオリックス・バファローズ戦)で決勝の適時打を放った。一軍公式戦全体では3盗塁を記録したが、出場試合数は22試合で、西岡のミネソタ・ツインズ移籍によって空いた遊撃のレギュラーに定着するまでには至らなかった。

2012年には、シーズンを通じて一軍に帯同し、主に二塁の守備要員や代走要員として起用され、一軍公式戦68試合に出場。しかし、シーズンを通して安打1本も打てなかった。イースタン・リーグ公式戦でも、2試合の出場で9打席に立ちながら無安打に終わった。

2013年には一軍公式戦21試合で2盗塁、2014年には13試合で1盗塁にとどまった。その一方で、両年ともシーズン初打席で本塁打を1本ずつ記録した。

2015年には、10年ぶりに一軍公式戦への出場機会がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受け[4]、現役を引退した[5]
現役引退後

現役引退後は、2017年3月から横浜市中区関内で「BASEBALL 早坂」という自身の名を冠したバーを経営していた[6]2018年11月に閉店後は人材派遣会社に入社し営業として勤務している[7]

2022年6月23日、日本海オセアンリーグ福井ネクサスエレファンツでコーチに同月29日付で就任することが発表された[8]。就任後の6月29日、休養を申し出た監督代行の吉田篤史に代わって監督代行に就任することが発表された[9]

福井ネクサスエレファンツはシーズン終了後に運営休止が発表され[10]、12月7日にリーグに新たに設立される千葉球団(仮称)の球団代表兼監督に就任することが発表された[11]。球団名は2023年1月14日に「千葉スカイセイラーズ」となることが発表された[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef