旧形国電
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出典検索?: "国鉄旧形電車の車両形式" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年8月)

国鉄旧形電車の車両形式(こくてつきゅうがたでんしゃのしゃりょうけいしき)では、日本国有鉄道における新性能電車以前の旧形電車の称号方式について述べる。クモハ40形電車
国鉄の旧形電車

日本国有鉄道(国鉄)における「旧形電車」とは、1959年(昭和34年)5月30日付総裁達第237号(同年6月1日施行)による車両称号規程改正時に初めて現れた概念である。

この改正で独自の称号規程を制定された新形電車新性能電車)に対し、それ以前のものが「旧形電車」とされた。ここで「旧形」とされた電車は、1906年(明治39年)に国有化された甲武鉄道引継ぎの二軸車以来の伝統式な駆動方式である吊り掛け式を採用する電車群であり、旧形国電(旧国)とも呼ばれる。

したがってここで扱う規程の対象は、この改正以前については国鉄の全電車であり、以後については上記のカテゴリのものとなる。本項目では、度重なる改正の最終形態である国鉄末期のもの(まだわずかに旧形電車が残存していた)についてまず説明し、「歴史」節でそれ以前の変遷について解説する。なお日本の電車そのものの発展の概略は、日本の電車史を参照されたい。
国鉄末期の称号

電車の形式称号は、1959年に称号改正された101系電車151系電車153系電車155系電車等以降の新性能電車とそれ以前の旧形電車とで称号方式が異なる。なお、本節ではJR化以前、国鉄末期の後者について記す。前者は国鉄新性能電車の車両形式を参照されたい。

記号事例○● ABCDE車両形式
1.標準形電車クハ 68058クハ68形制御車
2.雑形サエ  9320サエ9320形救援付随車

このうち、○については、電車の車種を表す記号を表し、●については用途を、標準形電車のAは車体長、Bは電動車か制御車・付随車の別によって区分され、ABによって形式を示し、C-Eについては製造番号を表す。雑形電車のB-Eについては下記を参照されたい。
車両の種類を表す記号

車両の種類を表す記号は、次のとおりである。

記号車種車種解説(記号の由来[1]
クモ制御電動車運転台と動力装置のある車両。
電動車動力装置(モーター)のある車両(モーターのモ)
制御車運転台のある車両(「電動車にクっついて走る」のクと一般に言われる[注釈 1]
付随車運転台も動力装置もない車両(電動車にサし込むのサと一般に言われる[注釈 2]

車両の設備を表す記号

単独で使用する場合が多いが、合造車の場合は下記の順番で重ねて使用される。

種別記号1969年5月10日以降1969年5月10日前1960年6月1日前備考
営業用ロ- [注釈 3]一等車[注釈 4]二等車
普通車二等車三等車
郵便車
荷物車
事業用ヤ職用車試験車・牽引車・教習車等[注釈 5]
救援車
配給車

形式数字

旧形電車の形式数字は桁位置により次のような分類がある。標準型電車は番号の万位および千位の数字を、雑形電車は千位から一位までの4桁の最初の番号を形式数字とする。形式は記号と形式数字を合わせて表される。

標準型電車の場合は下記の表のように万位が車長・使用目的、千位が電動車か否かを表す[2]、なお、新型電車の「系」と異なり、旧型電車では違う形式同士を連結しても走行は可能である[3]

数字万位千位
0-電動車
1車長20m未満[注釈 6]
2
3車長20m近・中距離用
4
5制御車・付随車
6
7
8車長20m遠距離用
9事業用・その他

歴史

国有鉄道の車両の統一的な形式番号付与基準が初めて制定されたのは、1911年(明治44年)1月16日付達第20号によってである[注釈 7]。このとき電車は、汽動車(蒸気動車)とともに、客車の一部として扱われている。

電車が電車として独自の形式番号体系を獲得するのは、1928年(昭和3年)5月17日付達第380号(同年10月1日施行)による称号規程改正時である。このときの称号規程が、以後、数回の改正を重ねながらも、現在につながる旧形電車の形式番号の基本となっている。

それ以後、比較的大きな称号規程改正が行われたのは、1953年(昭和28年)4月8日付総裁達第225号(同年6月1日施行)である。このときは、17m級電車の形式整理、改造車への形式付与整理、戦時買収によって国有鉄道に編入された私鉄からの引継ぎ車への国鉄式形式番号の付与等が実施されている。

そして、先述の1959年改正による称号規程が現在まで使用されているものである。

以下、順にそれぞれの形式称号規程について解説を加えることとする。
1911年(明治44年)車両称号規程

1911年(明治44年)1月16日付達第20号により制定された車両称号規程により、電車は客車の形式番号体系に含められた。電車の番号は、客車の二等車三等車の間に設定され、二軸車は950 - 999、ボギー車は6100 - 6499が割り当てられている(後に番号の範囲は追加)。形式は、一連で付される同一形式車の最初の番号をとることとされ、「車両の重量(換算両数)を表す記号(ボギー車のみ、詳細は国鉄客車の重量記号を参照)+電車の記号『デ』」という表記が原則になった。通常の営業用客車の場合ここに等級を表す記号「イ、ロ、ハ」もつくが、この頃の国鉄電車はすべて3等車モノクラス(甲武時代には2・3等車の合造電車もあったが、1909年(明治42年)6月に2等料金自体が廃止され、2等室部分を手荷物室に改造して「ニデ950形」になっている[4])で等級区分の必要がなかったためこの表記はつけられず、「職用車のヤ」などの旅客以外用途の記号がつく場合に表記される[5] 。

なお、緩急車を表す記号「フ」は、電車には使用しないこととされた。

この称号規程により、甲武鉄道引継ぎの二軸車は、950形ニデ950 - 952、960形デ960 - 962、963形デ963 - 988に、1909年(明治42年)に製造された国有鉄道初のボギー電車1 - 10は、6100形ホデ6100 - 6109となった。
換算両数算出法の変更による重量記号の変更

1913年(大正2年)4月22日付達第301号により、換算両数の算出方法が変更され、また同日付達第302号により、ボギー車の重量記号の規程が変更になった。この時ボギー電車の増備車で重量が25tを越えたものがあったため、重量記号が「ホ」から1ランク上の「ナ」にされ「ホデ」が「ナデ」に改称された[6] 。


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