旧大安渓橋
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この項目では、台中市大甲区の大安渓下流にかかる鉄道道路併用橋について説明しています。上流の同市后里区にある旧山線の橋梁については「大安渓鉄橋」をご覧ください。

旧大安渓橋(きゅうだいあんけいきょう、舊大安溪橋)は台湾中部、台中市大甲区大安渓に架かる廃止された鉄道道路併用橋

元は台湾鉄路管理局海岸線の鉄道橋かつ縦貫道路(戦後の台湾省道台1線)の道路橋であり、大安渓河口部付近で大甲地区の南北を連絡していた。1987年に役目を終えて廃止されると、文化資産登録を経てサイクリングロードとして再生されることになった[1]鉄道橋としては大安渓上流にある同じく文化資産となっている台中線旧線(旧山線)の橋梁と区別するために、新旧とも「下大安渓橋」と俗称される[2][3]

旧大安渓橋
Old Da'an River Bridge
中華民国 文化資産
登録名称舊大安溪橋
旧称大安渓橋(道路)
下大安渓橋(鉄道)[2]
種類橋梁
等級歴史建築
文化資産登録
公告時期2006年9月27日
建設年代1920年着工、1921年竣工
開放年代未開放
詳細登録資料

旧大安渓橋
各種表記
繁体字:舊大安溪橋
?音:Jiu Da ?n x? qiao
通用?音:Jiou Da an si ciao
注音符号:???? ??? ? ?? ????
発音:ジゥ ダーアンシーチャオ
台湾語白話字:K? T?i-an-khe-kio
客家語白話字:Khiu Thai-on-hai-khiau
日本語漢音読み:さんちょうれいずいどう
英文:Old Da'an River Bridge
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沿革

旧大安渓橋
旧大安渓橋の道路側橋面
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度22分27秒 東経120度39分03秒 / 北緯24.374115度 東経120.650813度 / 24.374115; 120.650813
通行対象元台1線縦貫道
台鉄海岸線
交差大安渓
所在地台中市大甲区孟春里と太白里
正式名称舊大安溪橋
維持管理交通部公路総局第二区養護工程処[4]
特性
形式上部:上路式プレートガーダー
下部:石工橋
全長916メートル (3,005 ft)[注 1]
幅6メートル (20 ft)
歴史
施工者鹿島組、澤井組(鉄道)
住吉組(道路)
建設開始大正9年(1920年6月15日
完成大正10年(1921年)5月(鉄道)
昭和9年(1934年10月25日(道路)
開通1922年10月11日(鉄道)
昭和9年(1934年)12月(道路)
閉鎖1975年12月1日(道路)
1987年1月20日(鉄道)
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戦前

日本統治時代の台湾では、縦貫線全通後に急勾配区間を経由する台中線のバイパスとして海岸線が計画され、高低差こそ少ないものの、清水駅以北では後龍渓(中国語版)、大安渓、大甲渓などの大河川に架橋が必要だった。日南駅大甲駅の間を横切る大安渓を跨ぐこの橋のうち、鉄道橋の部分は鹿島精一擁する鹿島組)が北側(第二工区)、および澤井市造(中国語版)擁する澤井組が南側(第一工区)の工事をそれぞれ請け負い、1920年(大正9年)6月15日に起工され[5]、1921年(大正10年)5月15日に竣工した[6]。海岸線はその翌年(1922年)10月11日に竹南まで全通した[7][注 2]

道路橋部分は13年後となる1934年(昭和9年)10月25日に完工し、12月に開通した[9][注 2]。施工は住吉組が担った[10][11][注 2]
戦後

日本統治時代は南北縦貫交通において重要な役割を果たした[12]。戦後も1960年代になると鉄道・道路とも交通量が増加し、老朽化に加えて拡張性に難があることから継続使用には堪えられないと判断され、先行して架け替えられる道路橋は1974年6月に着工された[13]。台湾省公路局(交通部公路総局の前身)により下流側に全長985メートルの新大安渓橋が建設され、1975年12月1日に開通すると[14][15]台1線は新橋に移行し、鉄道専用橋となった[12]

1978年の西部幹線電化に伴い、本橋を含む海岸線は5月末に電化工事が完了し[16]、橋上には架空電車線と架線柱が増設された[17][注 3]

その後、台鉄の五大橋梁再建事業(zh)で鉄道橋も架け替えが決定し、4億9,915万ニュー台湾ドルを投じて上流側に架設された全長995メートルの新たな橋は1987年1月20日に開通した[15]:844頁[19][18][注 4]。これにより鉄道道路併用橋として機能してきた本橋はその役割を終え、廃線となった[12]
廃止後

2004年7月の七二水災(中国語版)により橋脚2本が流失するし、橋面も落下したため途中で寸断されてしまうことになった[12][22]

2006年、台中県政府での審議により、この橋は日本統治時代の橋梁建設技術が見証でき、芸術性も兼ね備えた橋脚構造など台湾での交通の発展過程を見証するうえでの高い歴史的意義があるとみなされ、県の文化資産(歴史建築)に登録された[23][1]。その後、2010年の県市合併と直轄市昇格により(新)台中市の名義となった。

自転車製造大手ジャイアント・マニュファクチャリングの拠点でもある当地では、自転車道への転用など再活用の議論が続けられ[24][25]、台中市政府文化局(中国語版)は1.15億ニュー台湾ドルを投じて修復事業に着手した[26][27]


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