旧古河庭園
Kyu-Furukawa Gardens
洋館
分類都立庭園・名勝
所在地東京都北区西ヶ原一丁目
座標北緯35度44分33秒 東経139度44分46秒 / 北緯35.74250度 東経139.74611度 / 35.74250; 139.74611
旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)は、東京都北区にある都立庭園である。1919年(大正8年)に古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として現在の形(洋館、西洋庭園、日本庭園)に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。東京のバラの名所として親しまれている。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 創建
2.2 創建当時の古河家
2.3 関東大震災の救済活動
2.4 牛込若松町への転居
2.5 昭和の激動
2.6 都立公園に
3 特徴
3.1 洋館(大谷美術館)
3.2 洋風庭園(バラ園)
3.3 日本庭園
4 イベント
5 所在地・アクセス
6 使用された作品
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
概要 正面、車寄せ
1956年(昭和31年)4月30日に都立旧古河庭園として開園。面積は30,780.86m2(平成26年10月1日現在)。公園種別は特殊公園(歴史)。平成25年の年間利用者総数は237,257人。1982年(昭和57年)8月、東京都名勝指定。2006年(平成18年)1月、国指定文化財(名勝)指定。[1] 明治20年代、政治家・陸奥宗光が当地を購入し別宅とする。明治38年、宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子(2代当主)となったため、古河家に所有が移った。当時の建物は現存しない。 1914年(大正3年)、古河財閥3代目当主の古河虎之助(市兵衛の実子)が周囲の土地を購入し、9,470坪を古河家の本宅用として、整備を開始した。
歴史 施主:古河虎之助 設計:ジョサイア・コンドル 日本庭園:小川治兵衛
創建
さらに虎之助により、大正8年(1919年)、日本庭園も竣工し、現在の形となった。日本庭園は近代日本庭園の先駆者・京都の庭匠「植治」こと七代目小川治兵衛(他に京都無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園など)により作庭された。 古河財閥の創始者、古河市兵衛は奉公人から商才で出世し、足尾銅山に投資し「銅山王」と言われた。しかしその背後には足尾鉱毒事件や激しい労働争議などの問題を抱えていた。市兵衛には当初子がなかったので、二代目に陸奥宗光次男、潤吉を養子に迎えた。古河潤吉は1905年(明治38年)に古河鉱業会社を設立し社長になり、副社長に原敬を迎え合理化を計るが、同年、35歳で病没する。
創建当時の古河家