日高川水力電気株式会社種類株式会社
本社所在地 日本 和歌山県
日高郡御坊町大字御坊24番地の2
設立1916年(大正5年)8月25日[1]
解散1926年(大正15年)4月29日[2]
(京阪電気鉄道と合併し解散)
業種電気
事業内容電気供給事業
代表者社長 小竹岩楠
日高川水力電気株式会社(ひだかがわすいりょくでんき かぶしきがいしゃ)は、大正時代の和歌山県中部に存在した電力会社である。
1916年(大正5年)設立。日高川に水力発電所を建設し、現在の御坊市や田辺市を中心として供給にあたった。1926年(大正15年)、和歌山県にも進出していた京阪電気鉄道に合併され解散した。 日高川水力電気株式会社は、1916年(大正5年)8月25日、和歌山県日高郡御坊町(現・御坊市)に設立[1][4]。3か月後の同年11月15日、同社は同じ御坊の日高電灯と、西牟婁郡田辺町(現・田辺市)の田辺電灯を合併[5][4]、その事業を継承して開業した[6]。日高川水力電気の前身会社2社のうち、先に開業したのは田辺電灯である。 和歌山県下では、まず1897年(明治30年)に和歌山市において和歌山電灯(のちの和歌山水力電気)が開業し、電気の普及が始まった[7]。1899年(明治32年)には新宮で水力発電による新宮電灯(後の熊野電気
沿革
田辺電灯と日高電灯
1910年(明治43年)4月9日、田辺町に田辺電灯株式会社が設立された[10]。資本金は設立時5万円、のち10万円[8]。栗山瀧蔵が初代社長に就いた[8]。電灯供給開始は翌1911年(明治44年)3月3日からで、当日は会社前にイルミネーションが施され、鬪?神社では開業を祝う競馬や踊りが行われたという[11]。当初の供給区域は田辺町と西ノ谷村・湊村で、田辺町大字上屋敷町に出力50キロワットのガス力発電所が置かれた[12]。供給区域は1913年までこの3町村に限られたがその後拡大し[8]、1915年(大正4年)9月1日からは瀬戸鉛山村(現・白浜町)でも点灯している[11][13]。なお日高川水力電気との合併直前、1916年8月時点での田辺発電所はガス力と汽力発電併用で、出力は170キロワットであった[14]。
一方、御坊町では1911年1月10日、資本金3万円にて日高電灯株式会社が設立された[15]。同社は同年9月22日付で開業[12]。当初の供給区域は御坊町のみで、町内に出力30キロワットのガス力発電所を置いていた[12]。社長は御坊町の津村英三郎(日高銀行頭取[16])、常務は小竹岩楠(白浜温泉開発を主導した人物[17])であった[18]。日高川水力電気との合併直前の時点では御坊町や印南町などで供給しており(下記1916年時点供給区域一覧参照)、御坊発電所は出力72.5キロワットであった[14]。 1916年8月に設立された日高川水力電気は、資本金58万7500円にて起業されたのち、11月の日高電灯・田辺電灯合併により資本金75万円の会社となった[4]。代表取締役社長は海草郡内海村(現・海南市)の木村平右衛門[1][4]、専務取締役は小竹岩楠が務める[4]。初代社長の木村平右衛門は東京日本橋に江戸時代から店を構える紀州漆器商木村家の当主で[19]、当時九州水力電気監査役[20]。その他、取締役には坂内虎次
日高川水力電気の事業展開