日高富明
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日高 富明
出生名日高 富明(同じ)
別名TOMMY(トミー)
幹 竜一
生誕 (1950-02-22)
1950年2月22日
出身地 日本 東京都江東区深川 門前仲町
死没 (1986-09-20) 1986年9月20日(36歳没)
学歴江東区立臨海小学校
都立江戸川高校
日本大学
ジャンルフォークロック
ソフトロック
フォーク・ソング
ハードロック
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
アコースティックギター
エレキ・ギター
マンドリン

活動期間1970年 - 1986年
共同作業者アウトバーンズ
ミルク
ガロ
ファイヤー
Ma・Ma・Doo!!
ゴジラ
ビートルズ
CSN&Y
ブレッド

日高 富明(ひだか とみあき、1950年2月22日[1] - 1986年9月20日)は、日本男性歌手。通称・TOMMY(トミー)。かつては堀内護と高校時代からの友人の松崎しげるともに「ミルク」の一員だった。その後、堀内と大野真澄ガロを結成。解散後、「幹竜一(みき りゅういち)」名義にて作家活動を行っていたこともあった。
来歴

東京都江東区深川門前仲町出身[1]。弟がいる[1]。高校時代から各地の勝ち抜きエレキ合戦で優勝し、コンテスト荒らしの異名をとっていた日高は日本大学芸術学部時代の同級生、松崎しげると「アウトバーンズ」というバンドを結成し活動していた。一方、後にガロの中心的メンバーとなる由美かおるのバッキングバンド、「ジ・エンジェルス」のギタリスト、マークこと堀内護とは練習場の新宿御苑スタジオで知り合っていた。当時の堀内はギター専門だったので、ビートルズに影響を受けた二人について、松崎のヴォーカルには心惹かれ、日高にはライバル心を抱くようになる。

その後、ジ・エンジェルスとアウトバーンズが同時期に解散。堀内は自身のリードギターと松崎のヴォーカルと中心に据えたバンドの結成を目論む。そのミーティング初日、予想外なことが起こる。松崎は堀内の“ライバル”日高を連れて来て、「親友の日高と一緒でなければ新バンドには入らない」と宣言。松崎とのバンド結成を夢見ていた堀内は、想定外ながらも松崎の要望を受け入れ、ライバルである日高を加えた「ミルク」というバンドを結成。しかし、日高とのポジション被りに耐えられず、堀内はリーダーだったにも拘らずミルクを脱退。結果、松崎と日高が中心となって活動することになったミルクは、その後、日高が脱退して堀内が復帰したり、また堀内が抜けて日高が復帰したりと、結果、堀内と日高に翻弄されたまま終始バンドは安定することが無かったが、日高在籍時に大橋プロと契約し、カヴァーシングル「ハッシャバイ」ホットミルク名義でメジャーデビューを果たす[注 1]。しかしレコード発売時には、またぞろ日高は脱退し、ライバル関係にあったはずの堀内と2人でアコギを使ったフォークデュオを結成。ミルクに残っていた松崎にも、他事務所からソロ活動のオファーがあり、結果ミルクは解散。

そんなミルクの担当マネジャーは、後の宇崎竜童。また「ミルク」という名前の由来は、松崎がオーディション等、勝負の前に、必ず牛乳を飲んでいたというエピソードから付けられた。夏場は「アイスミルク」、冬場は「ホットミルク」と使い分けていた。

ミルクでの不安定な活動をしている最中、アメリカで話題となったミュージカル『ヘアー』の日本人キャストのオーディションがあることを聞きつけた日高は、既に親友となっていた堀内を誘ってオーディションを受けるが、日高は落選し、堀内が合格する。合格者の中には、小坂忠や、後にガロのメンバーとなる大野真澄がいた。ヘアー上演中に、小坂がクロスビー・スティルス・ナッシュに感化され、堀内と大野にバンド結成を打診するも結成には至らず。堀内はヘアーに参加しつつも、日高とのフォークデュオでも活動を続け、それがザ・タイガースのマネジャーをしていた中井國二の目に留まり、フラワー・トラベリン・バンドのコンサートの中休みに、ロビーでゲリラ・ライブをすることに。この時、12弦ギターを貸すために呼ばれた友人の大野は、堀内と日高から「せっかく来てくれたんだから、ちょっと一緒にやってみないか」と誘われ、即興で、クロスビー・スティルス・ナッシュのナンバーに参加。これが大受けし、ガロ結成のきっかけとなる。その後、中井の勤める渡辺プロダクションとの契約が検討されたがそれは叶わず、赤い鳥のバード・コーポレーションと契約。村井邦彦が社長をつとめたミッキー・カーチスのプロデュースによるマッシュルーム・レコードという、日本コロムビアの傘下のロックレーベルからファーストアルバムを発表する。「ガロ」というバンド名は、中井が、将来自分が男の子を授かった時に考えていた名前、「我郎」より付けられた。

デビューを果たすもコアな音楽ファンの間でしか話題となることもなく、かまやつひろしに認められて、バックを務めたり地道な活動を続ける中、レコード会社より本人達の意志に反して録音させられた職業作曲家による「学生街の喫茶店」が北海道の有線放送から火がついて全国的にブレーク。


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