日馬富士公平
[Wikipedia|▼Menu]

日馬富士 公平

住吉大社での横綱土俵入りにて
(2017年3月4日)
基礎情報
四股名安馬→日馬富士
本名ダワーニャム・ビャンバドルジ
Даваанямын Бямбадорж
愛称ヒマ、アマ
生年月日 (1984-04-14) 1984年4月14日(40歳)
出身 モンゴルゴビアルタイ
身長186cm
体重137kg
BMI39.59
所属部屋安治川部屋→伊勢ヶ濱部屋
得意技右四つ、寄り
成績
現在の番付引退
最高位第70代横綱
生涯戦歴827勝444敗85休(101場所)
幕内戦歴712勝373敗85休(78場所)
優勝幕内最高優勝9回
十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞4回
敢闘賞1回
技能賞5回
データ
初土俵2001年1月場所
入幕2004年11月場所
引退2017年11月場所
引退後城西国際大学国際アドミニストレーション研究科修了、モンゴルに小中高一貫校「新モンゴル日馬富士学園」を設立し理事長就任
他の活動特定非営利活動法人ハートセービングプロジェクトでの慈善活動
趣味ゴルフ油絵
備考
金星1個(朝青龍1個)
2017年11月30日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴル国ゴビアルタイ出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)に所属した元大相撲力士、第70代横綱2012年11月場所 - 2017年11月場所)。

本名はダワーニャム・ビャンバドルジ[注 1]モンゴル語キリル文字表記:Даваанямын Бямбадорж、ラテン文字転写:Davaanyamyn Byambadorj )、愛称はアマ。2008年11月場所までの四股名は安馬 公平(あま こうへい)。「公平」の名は、自身が「日本の父」と慕う後援会長の小巻公平にちなんだ。

実際に生まれ育ったところはウランバートル市内であるが、取組前の場内アナウンスでは実父レグジーブーギーン・ダワーニャム(モンゴル語版)の出身地であるゴビ・アルタイ県を自身の出身地としていた[注 2]身長186cm、体重137kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り。

インタビューの際の口癖は「お客さんを喜ばせる激しい相撲をとりたい」。好きな言葉は「全身全霊」「なんでやねん」。2017年11月場所後引退。締め込みの色は、引退時で黒。
素質・取り口

幕内では一二を争う軽量の力士であったにもかかわらず、最高位の横綱に登り詰めた。尊敬している力士は、同じく軽量だった元大関初代貴ノ花。稽古熱心な力士として知られており、ビデオで初代貴ノ花の相撲を研究していた。2012年7月場所、綱取りの時期からは元横綱千代の富士の相撲を参考にしていることをしばしば語る[注 3][1]

非常に強気な面が目立つ力士であり、物怖じしない言動が随所に見られた。既に三役に定着していた2007年(平成19年)9月場所では、新入幕にして優勝争いを展開する新鋭の豪栄道の挑戦を送り吊り落としの大技で退け「三役をなめられては困る」と三役常連としてのプライドを示した。同年11月場所にも「全部勝ちたい。負ける相手はいないと思っている」と強気一辺倒の姿勢で臨み、見事2場所連続の二桁勝利を挙げて大関取りの足固めをした。2008年1月場所前の横審の稽古総見でも復帰した朝青龍白鵬の両横綱の申し合いにただ1人割って入り、朝青龍にぶつかっていく向こう意気の強さを見せるなどした。このような前向きな姿勢と場所ごとに力強さを増す取り口などから、強力な大関候補として期待されていた。

日馬富士のかつてのブログのタイトルにもあったように「真っ向勝負」を身上としていた。体の重心が低い所にある上に、足腰が非常に強く、変化を喰いにくく、土俵際での粘りもある。立合いが鋭く相手に突き刺さるようであると形容されており、朝日山(元関脇・琴錦)からも絶賛されている[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:232 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef